織田信長ってどんな人物?戦国時代の革命児にみる圧倒的統率力

戦国時代を語る上で欠かすことのできない戦国武将「織田信長」。うつけ者と呼ばれながらも、豊臣秀吉や徳川家康など多くの有名武将達に多大な影響を与えた人物です。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも描かれた明智光秀も、有力な家臣の一人でした。

 

今回は、織田信長のものがたりからあなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っております。破竹の勢いで有力武将たちを打ち負かし、戦国時代の革命児になった織田信長。


起業家や部下をもつ人にもたくさんのヒントがあるので、参考にしていきましょう。

織田信長ってどんな人物?

織田信長がもつリーダーシップや時代の先を見抜く力は、どのように培われてきたのでしょうか?信長の人生を振り返りながら見ていきましょう。

幼少時代

1534年5月、信長は尾張藩主「織田信秀」の長男として誕生します。信秀は愛情深くも、将来家を継ぐ可能性の高い信長を厳しく育てたそうです。行動や気性の荒さが目立つ性格で、呆れられたり叱責されたりすることも多かったとか。


尾張の内紛

美濃国大名・斎藤道三の娘・濃姫(のうひめ)と結婚したことで、信長は織田弾正忠家の後継候補となりました。父・信秀が死去したあとは、「上総守(かずさのすけ)信長」へと名を改め家を継ぐこととなります。

家を継いだばかりの信長は、父・信秀のように他の大きな勢力を抑えこむのに苦戦していました。特に、清洲(愛知県清須市)の織田大和守(やまとのかみ)家とは何度も戦いをしています。

信長が可愛がっていた部下の平手政秀(まさひで)の自殺、また尾張守護・斯波義統(よしむね)が清州側に殺されたことがきっかけで、信長は清州側を戦で破ったのです。

上洛~幕府再興

信長は足利義昭を第15代将軍にと推薦し、その後、義昭を守るための二条城を建築。しかし、それは天下統一のための作戦でした。

将軍がいろいろな人の話で惑わされないように、僧侶や陰陽師、医師などの出入りも禁じられます。また、将軍の許可なく信長が判断を下せるという内容の約束事(殿中御掟)を将軍義昭に強引に認めさせたわけです。

信長は天下統一のための勢力拡大。将軍は保身のため。互いに利用し合う関係性だったといわれています。


室町幕府の終焉~天下統一前の本能寺の変

1570年から1573年にかけて、信長は浅井・朝倉連合軍との戦を続けていました。姉川の戦いに勝つと、信長に敵対心をみせていた比叡山延暦寺は焼き討ちにされ、さらに、信長と仲違いし反抗を繰り返すようになった将軍義昭を京の都から追放したのです。こうして室町幕府は滅びます。他にもさまざまな勢力を抑えてきた信長は、天下統一まであと一歩と迫っていました。

山陰山陽(中国地方)方面へ勢力を伸ばそうとしていた信長は、各地に部下の軍勢を送り込みました。部下の明智光秀には、高松城を落としに行った豊臣秀吉の援軍に向かえと指示していましたが、光秀は進路を変更し本能寺に向かいます。

信長は自分が征夷大将軍になるためにも、天皇と関わりの強い本能寺と交流を深めており、そのとき宿場とした本能寺で明智光秀により襲撃されました。※諸説あり

最初こそ立ち向かう信長でしたが、光秀の軍勢1万に対し信長は30~100名と言われる部下しかおらず、自ら本能寺に火を放って自害。壮絶な人生に幕を下ろしたのです。
 

織田信長の「奇行」から学ぶ「カリスマ性」とは!?

信長の少年時代で有名なのが「うつけ(常識はずれ、まぬけ)」と呼ばれたエピソードです。派手な衣装を着て注目を集めたり、父・信秀の葬儀では位牌に灰を投げつけるなどの逸話も残っています。 

当時は奇行とされていた非常識な行動ですが、今でいう炎上商法的な戦略だったのではないかという説もあります。注目を集めることで、街の人々から広く認知してもらう方法だったのかもしれません。 

もちろん礼儀や道徳を疎かにしてはいけませんが、「目標達成のために、まずは自分を知って欲しい」と思うなら、人とは違う事に挑戦してみる勇気も大切です。

織田信長から学ぶ「古きを愛で新しきを見る」精神

信長は茶器や骨董などを集めることも好きだったそうですが、今までにない新しいものにも高い関心を持っていたといいます。また、自分だけで楽しむことをせず、広く公開することで街の発展につなげていくことも意識していたのだとか。

例えば、安土城や黄金の蔵を使者などに見せたり、宴の席では自らの手で礼銭を渡したり、そうした信長の行動が人々にも真似されるようになって街の発展に繋がったという説もあります。

「来てくれてありがとう。」「素晴らしいものをあなたにもお見せしたい。」信長にとっては、感謝の気持ちそのものだったのではないでしょうか。ビジネスにおいても感謝の心を忘れず、相手に対し自分ができることを考えなければなりませんね。

 

織田信長のリーダーシップ

信長は、自分に味方する者には必ずメリットを提示しました。桶狭間の戦いでは、戦に参加すれば末代まで英雄とされると説いたそうです。また、素直に従い武功を上げた家臣たちにも、活躍に応じた褒美を与えてモチベーション維持に繋げました。

自身はもちろん、家臣たちの働きに見合うリターンを与えることは、チーム力を高め、ビジネスを成功させるためにも大切なポイントになります。

織田信長まとめ

ピンチを何度も乗り越え、多くの戦で勝ち抜いてきた織田信長。天下統一目前まで統率力を維持し、発信力や交渉術を駆使して勢力拡大した姿は、事業を始める人にとっても参考にできる点があったのではないでしょうか。

こちらの記事では、ビジネスに効く、織田信長の名言を紹介しています。併せてご参照ください!
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人をまとめ上げる大変さは、今も昔も変わりません。社員や取引先への感謝を忘れず、事業を行うことの大切さも学んでいけたら嬉しいですね。