野口英世はどんな功績を残した人物?年表を用いながら詳しく解説!

 

野口英世は黄熱病の発見や毒蛇の研究など、数々の功績を残した日本の細菌学者です。現在では1,000円札の顔としても有名ですよね。そこで、この記事では人物像や年表を用いながら彼の残した業績について紹介します!

今回は、野口英世の物語からあなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。幼い頃から学問に没頭し、日本の医学、細菌学に大きく貢献した彼の人生は、ビジネスマンにとっても多いに参考になるはずです。

野口英世ってどんな人物?生涯を簡潔に紹介!

野口英世はどのような人物だったのでしょうか?そこで彼の生涯について簡潔に紹介します!

大やけどを負ってしまった幼少期

1876年、福島県に農家の子として誕生。はじめは清作という名前でした。野口は1歳の時、自宅の囲炉裏(いろり)に落ち、左手に大きなやけどを追ってしまいます。「これじゃ農作業は難しいな」と考えた野口は、代わりに学問を極めて世の役に立とうと奮闘します。

医学の素晴らしさに気づいた青年期

野口が医師を目指すきっかけは15歳の時。友人の支援を受け、野口は左手の手術を受けます。残念ながら完治はしませんでしたが、医療の素晴らしさを肌身で感じ、以降は医者を目指します。そして19歳になると、医師免許を取るために上京しました。

医師免許の取得と英世への改名

わずか20歳で医師免許を取った野口。医学界で世界的に有名だった北里紫三郎の研究所で助手をするようになります。

 

また野口は21歳の時に清作から英世へと名前を変えました。理由はその頃野口が読んでいた『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』という作品。その作品の主人公は「野々口精作」という名前で、野口の名前と非常に似ていました。田舎出身である、遊里(ゆうり)に入りびたるなど野口との共通点も確認でき、野口は他人事には思えないほどにシンパシーを感じたと言われています。

 

当時、この小説はベストセラーであり、主人公の名前や人格が広く知られていました。自分が元ネタだと思われるのはまずい、と感じた野口は自身の欠点を補うという意味も込めて英世に改名したのだと語られています。

 

世界的な活躍

徐々に野口は世界に活躍の場を移すようになります。牛荘(中国)、フィラデルフィア、コペンハーゲンなどでの活動を経て、ニューヨークではシモン・フレスキナー博士の下で助手を務めるようになります。そこで野口は蛇毒、梅毒、黄熱病など、当時人々を悩ませていた病気の研究に没頭しました。

 

その後はアフリカ各地を周り、黄熱病の研究をさらに進めます。しかし、1928年にガーナを回った際、黄熱病にかかってしまい51歳で亡くなりました。

 

未知の病原体へのひたむきな研究姿勢と彼が残した数々の業績は、今後も人々の間で語り継がれることでしょう。

野口英世の年表

野口英世の簡単な年表についてまとめていきます。彼の年表を細かく見ていくと、新しく分かることがあるかもしれませんよ。

 

・1876年

福島県で生まれる。

・1878年 (1歳)

囲炉裏に落ちて大やけどを負う。

・1892年 (15歳)

友人の支援で左手の手術を受ける。

・1897年 (20歳)

上京し医師免許を取る。

・1898年 (21歳)

北里紫三郎の助手として伝染病研究所に勤める。

・1899年 (22歳)

フレスキナー博士の案内役をする。

・1901年 (24歳)

毒蛇の研究を発表。

・1904年 (27歳)

ロックフェラー研究所で助手を務める。

・1911年 (34歳)

医学博士の学位を授かる。

妻メリーと結婚する。

・1918年 (41歳)

エクアドルのグアヤキルに赴き、黄熱病の研究を行う。

黄熱菌を発見に成功する。

・1928年 (51歳)

ガーナにて黄熱病にかかり亡くなる。

 

野口英世の主な功績

野口が残した数々の功績は現代の医学の進歩を後押ししています。彼が残した主な功績を3つほど見ていきましょう。

 

毒蛇の研究

1901年、野口はフレスキナー博士の助手となり蛇毒の研究を開始します。主に毒蛇がもつ毒の性質、また毒蛇にかまれた際の対処法を研究しました。

 

翌年1902年に行われた学会ではフレスキナー博士との連名で蛇毒についてまとめた論文を発表します。本格的な研究を始めて1年しかたっていないにも関わらずその論文は30ページ以上に達したそうです。彼の研究者としての資質の高さが伺えますよね。

梅毒スピロヘータの培養に成功

野口は梅毒の原因となるスピロヘータ(細菌)の培養に成功します。当時梅毒は不治の病であり具体的な治療法は確立されていませんでした。そのため、梅毒スピロヘータを使った実験が急がれました。

 

野口がスピロヘータの培養に成功した時は、世界的な大ニュースになりました。精神医学者の内村裕之は「近代の精神医学の発見では最も評価すべき研究」と評しており、ノーベル賞の候補にも上がるほど優れた研究とされています。

黄熱菌の発見

野口の最大の功績として、黄熱菌の発見が挙げられます。当時の細菌学では、新種の病原菌を突き止めることは困難でした。しかし野口は黄熱病で苦しむ人々のため猛烈に研究し見事、黄熱菌の正体を突き止めます。

 

現在では、黄熱菌はウイルスであることが分かり、野口の発見は間違いだったと証明されています。しかし、黄熱病をはじめ、医学分野において野口が大きな影響をもたらしたことには疑いの余地はありません。

野口英世は日本の医学史に名を残す偉大な人物!

野口英世は日本史を語るうえでも、絶対に外せない偉人の1人です。彼が残した数々の研究成果は間違いなく現在の医療の発展に寄与しています。人類共有の財産として、今後も彼の残した研究は人々の健康を守っていくでしょう!