【夏目漱石の名言】人間関係を手っ取り早く解決する方法

今回は「夏目漱石」という人物にフォーカスしていきたいと思います。夏目漱石は明治末期から大正初期にかけて活躍した小説家の一人で代表作は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」など数多くの著名な作品を世に送り出しました。皆さんは夏目漱石にどういったイメージをお持ちでしょうか?1000円札紙幣の肖像画というイメージが強いのかなとも思います。

夏目漱石は小説家らしく、素敵な名言をいくつか残しています、今回はそんな名言と夏目漱石の生涯に迫っていきたいと思います。

夏目漱石の生涯とは?

夏目漱石は1867年に現在の新宿区である牛込馬場下町(うしごめばばしたちょう)に生まれます。夏目漱石は様々な学校を転々としながらも、1890年に現在の東京大学である帝国大学英文科に入学します。意外かもしれませんが小学校を卒業し東京帝国大学に入学するまで、何度か中退を繰り返しました。簡単に言えばそれほど勉強熱心ではなくボートや水泳などのスポーツを楽しみ、寄席(よせ)通いするなど遊びに費やす時間が多かったとされます。

漱石に影響を強く与えた人物

漱石に影響を強く与えた人物として、同時期に活躍した俳人(はいじん)「正岡子規(まさおか しき)」がいます。漱石と正岡子規は寄席(よせ)通いという共通の趣味がきっかけに仲良くなり、漱石に俳句を勧め、句作(くさく)の指導もしました。大学時代には正岡子規や海軍で活躍した秋山真之(あきやま さねゆき)などとの交流がありましたが、漱石自身は神経衰弱(しんけいすいじゃく)に陥り(おちいり)、長きに渡り苦しめられる事になります。

大学卒業後は高等師範(しはん)学校の英語教師になるも、日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え始め自身の神経衰弱(しんけいすいじゃく)も悪化の一途辿っていきました。2年後には東京から逃げるように高等師範学校を辞職し、愛媛県の中学校に英語教師として赴任(ふにん)します。松山は子規(しき)の故郷であり、漱石にとっては安息(あんそく)が得られる地だったのかもしれません。その次の年には熊本市の第五(だいご)高等学校の英語教師に赴任(ふにん)するなど地方で英語講師として活動して行きます。

当時の日本の情勢(じょうせい)としてはともかく西洋に追いつけということが政府を挙げて行われていました。西洋に学び、日本という国を強くしなければ、日本の独立を守ることはできないという考え方から「富国強兵」が盛んに叫ばれていた状態でした。こういった日本の情勢は夏目漱石をイギリス留学へ導きます。

1900年に文部省は英語教育法研究のため漱石にイギリス留学を命じます。ただこのイギリス留学は漱石の神経衰弱を悪化させるものとなってしまいました。帰国後、精神衰弱の治療の一環で創作を勧められ、処女作になる「吾輩は猫である」を執筆します。これが小説家夏目漱石のスタートでした。小説家を志すというよりは、神経治療の一環であったことは意外ですね。

「吾輩は猫である」は好評を収めその後「倫敦塔(ろんどんとう)」「坊っちゃん」と立て続けに作品を発表し、人気作家としての地位を固めていくことになります。夏目漱石は精力的に創作活動に励みますが、自身の健康問題が深刻になって行きます。漱石49歳の時に胃潰瘍(いかいよう)で死亡してしまいます。数多くの名作を残した漱石ですが処女作「吾輩は猫である」を執筆したのは38歳、死により未完で終わった「明暗(めいあん)」執筆は49歳と小説家としての活動はわずか10年ほどでした。

漱石の名言

ここからは漱石の1つの名言に迫っていきます。

「愛嬌(あいきょう)というのはね、自分より強いものを斃(たお)す柔かい武器だよ」この言葉は小説「虞美人草(ぐびじんそう)」からの引用です。

「虞美人草」の中では愛嬌に対して独自の解釈を表したもので、自分よりも強いものが必ず勝つわけではないことを示しています。

「愛嬌(あいきょう)」というものは人間関係を潤滑(じゅんかつ)にするテクニックの一つかもしれません。愛嬌(あいきょう)は現代に生きる私たちにも重要なファクターの一つです。シンプルに考えてみると、愛嬌(あいきょう)があっていつもニコニコしている人と厳しい顔をしている人、仕事の能力が同じならばどちらと仕事がしたいですか?ほとんどの人が愛嬌がある人だと思います。

人によっては、仕事の能力が劣ったとしても愛嬌(あいきょう)がある人と仕事をしたいと答えるかもしれません。私たちが生きている現代社会は会社組織に所属して生活している人がほとんどです。だからこそ愛嬌(あいきょう)がある人は組織の中で愛され、成功しやすい下地があるのかもしれません。

それでは愛嬌を身に付ける方法ですが、意識するべきなのは感謝の心を持つことだと思います。感謝されて腹が立つ人間なんていません。些細なことでも感謝の言葉を口にするようにしましょう。

結論

ここまで夏目漱石の生涯と明言を振り返ってみましたがいかがだったでしょうか。愛嬌(あいきょう)がある人になって愛される人間というものはどんな組織でも重宝(ちょうほう)されるものです。そもそも愛嬌(あいきょう)がある人は愛されキャラなので、人間関係の衝突(しょうとつ)が起こりにくいです。だからこそ現代社会の一番の悩みである人間関係の悩みから解放されることにつながるかもしれません。

私たちも「愛(あいきょう)嬌」を意識して生活してみると人生が変わっていくと思われます。