【日本初の女性産科医】 楠本イネと娘高子 ふたりの人生から学ぶ、女性の生き方

インターネットが普及し、誰でも気軽に発信ができる現代、便利な反面差別や心無い言葉で、
傷ついた経験はありませんか?

もちろんネット上に限らず、人間関係や会社組織の中で生活する以上、挫折を経験し、
「もう何もかもを諦めてしまいたい」と感じることがあるかもしれません。

今回はつらい状況を変えたいと願うあなたに、江戸から明治という女性差別が色濃い時代、
日本初の女性産科医として強く生きた楠本イネという女性をご紹介します。

苦境を乗り越える方法を知り、楠本イネのものがたりから、あなたのビジネスのヒントを得て
いただきたいと思っています。

 

私も会社員として勤めていた時代、女性だからとクライアントに目下に見られ、
失敗し落ち込んだ経験があります。
誰でも得意不得意、持って産まれたどうしようもない要素が存在しますよね。

 

これから性別に関係なく、差別や辛い状況を乗り越える方法をお話します。

楠本イネと娘 高子の人生

「1827年、まだ鎖国中であった日本の長崎県に、一人の女の子が誕生しました。
父は歴史的にも有名な、シーボルトという名のドイツ人医師、母は出島の遊女であった滝です。

イネが2歳のとき、シーボルトは日本国内で収集した品物を無断で持ち出そうとした「シーボルト事件」を起こし、国外追放になってしまいます。
父がいなくなり、母の再婚後は義父とともに生活し、イネは寺子屋へ通い勉強好きな少女へ
成長しました。
当時では珍しい混血児、それだけで差別の対象となり、つらい経験もしましたが、シーボルトから
送られる医学書や蘭学書に触れることで、次第に医者への道を志します。
14歳になると父の弟子である二宮敬作を頼り、医学全般を学ぶために伊予宇和島へ渡った後、18歳で
石井宗謙のもとで産科学を、村井蔵六からオランダ語を学びました

イネは、当時の妊婦や新生児の死亡率が高いことにショックを受けていました。
当時の日本では、お産とは汚らわしいものと考えられており、それ故に出産の際には不衛生な小屋に隔離され、悲惨な状況でした。

女性産科医をめざす

女性産科医がいれば、お産を嫌がる妊婦も減り、救える命があると考えたのです。

イネは自身が西洋医学を学んだことで、出産に対する科学的な知識を女性たちに説いていきました。
私生活では石井の裏切りにより妊娠を経験し、娘の高子を未婚で出産しています。

大変な状況下でもイネは産科医学を学び続け、29歳で自身の産科医院を開業し、30年ぶりに父との再開を
果たすと、男性に混じってポンペ・ボードウィンらから産科を学び、解剖の現場にも参加しました。

 

明治維新後には東京築地にて開業を成すと、福沢諭吉の支援を受け、明治天皇の側室であった葉室光子の皇子誕生に立ち会うなど、産科医としてのキャリアを積んでいったのです。

 

しかし1875年、医師開業試験制度が始まると、イネのキャリアに暗雲が立ち込めました。
当時の受験資格は男子のみ、イネは長崎へ帰郷し産婆を開業するのです。

1884年には女性にも受験資格が与えられたものの、イネは既に57歳であったために断念し、65歳になると娘の高子と共に東京で暮らし始めます。

ですが晩年の二人の生活を支えたものは、高子が幼い頃に祖母である滝から教えられ、夢中になった芸事でした。

娘 高子の人生

高子は結婚や夫との死別、出産を経験し、医学の道を諦めていました。
高子は後に下記のような話を残しています。

 

「考えてみますと、祖母の一生も母の一生もそして私にも、本当にいろいろなことがございました」

 

女性という差別の前に、混血児という差別の目があったはずです。

そのような悲痛な経験を乗り越え、自分の目標の為に強く生きたのです。

イネは日本における産婦人科の発展に貢献し、現代でも多くの人々の命へと繋がっています。
彼女は77歳でこの世を去るまで、差別に負けず、希望を捨てることはありませんでした。
そして娘高子も、様々な挫折を経験しながらも、最後まで母を支え続けたのです

性別に関係なく、差別や辛い状況を乗り越える方法

明治時代の偉人である野口英世は「絶望のどん底にいると想像し、泣き言を言って絶望しているのは、
自分の成功を妨げ、そのうえ心の平安を乱すばかりだ」という名言を残していますが、
その通りです。

 

ビジネスに限らず、私生活においても、理不尽な差別や嫉妬、妬みから傷つくことがあるかと思います。
新しいことを始めるとき、人と違うことをしようとしたときに、躓くことがあります。

しかし現状を憂いて立ち止まってしまっては、イネや高子のような偉業は成し遂げることが出来ません。
もちろん精神を保つ為、自身をかばってあげることも大切です。

ですが一旦落ち着けば、次はまた前を向いて歩き出しましょう。
つらい状況に遭遇したら、嘆くばかりではなく、自身からなにか行動に移すことが重要なのです。
高子の発言通り、皆なにかしらの苦境を経験しています。

 

諦めない姿勢、前を向く勇気が必要になりますし、それに性別や身分は関係ありません。
必要であれば学ぶことも重要ですので、自身の進みたい道のためには、
努力を怠らないようにしましょう。

今回は日本人初の産科医である楠本イネと、その娘高子についてお話しました。

是非諦めずに挑戦し続けるという部分を、あなたのものがたり起業に生かして頂ければうれしいです。