【ビジネス基礎勉強法】稼ぐ人は知っている!?-渋沢栄一の教訓-

今回は今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主役である「渋沢栄一」の物語から、現在のビジネスマンにも通用する生き残るヒントを得ていきたいと思います。
ビジネスにおいて生き残ることは非常に重要です。新設法人は、設立5年で約85%の企業が廃業・倒産すると言われています。要は100社のうち15社しか生き残れないということになります。それだけ生き残ることが重要であり、大変重要であることがわかります。

リーダーとしてあるべき姿とは?

例えば新規でビジネスを始めようとする方、会社に所属している方でも新規事業の立ち上げにかかわっている方には「ビジネスを継続させることの難しさ」は非常に感じることは多いのではないでしょうか。私自身もそういった局面を感じる場面は多々あります。とくにリーダーとしてどうあるべきかという点で思い、悩む方も多いです。

渋沢栄一を学ぶことで、リーダーとしてあるべき姿を学ぶことが出来ます。それによってもっと楽にリーダーとしての役割を負うことが出来るようになると思います。

今回は渋沢栄一のものがたりから、あなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。

リーダーは先陣を切る必要はない!

早速結論なのですが、「リーダーは先陣を切る必要はない!」ということです。

よくリーダーシップは先陣を切って物事を進める人、集団のトップに立って集団を引っ張る人のように語られますが、渋沢栄一の生涯を勉強すると必ずしもそうである必要はないことがわかります。

その理由は・・・

渋沢栄一は、約500の企業の設立・育成に関与し、600もの社会事業に携わったという圧倒的な事績の持ち主ではありますが、知名度という点では、同時代に活躍した維新の志士たちと比べて劣ります。この要因としては渋沢自身が自分の名前を押し出すことに執心しなかったという点が考えられます。渋沢自身が設立・育成した企業は今も数多く生き残っていますが、「渋沢」という名前を掲げているところはほとんどなく、子孫が経営を引き継いでいるところもありません。

大きな会社をたくさん作ったのに、自らの財閥を形成しなかったという点も特色の一つです。当時のビジネスの常識としては、ビジネスで成功を収めた人物は財閥を形成してさらに自らの勢力を強力にしていくことが常道でした。しかし渋沢はそれを行いませんでした。

渋沢栄一自身は若いころは尊王攘夷に傾倒し、横浜の外国人居留地を焼き討ちするという考えに染まっていた時代もあります。つまりは過激な思考に寄っていた時代もあります。しかしそれでは世の中を変えられないと悟ると、体制の中に残るという道を選び、一橋家に仕官していきます。つまりは体制の中で世の中を革新するという道を選んだわけです。この変わり身を「節操がない」と非難する人も居たことも事実です。しかし状況に応じた柔軟判断と総合的に物事を捉えられる視野の広さを表しています。

その後の激動の時代も体制の中で活動を行い、経済の力で世の中を豊かにしていくことを理念に銀行業や実業家として成功を収めていきます。

本当の結論

渋沢栄一が圧倒的な成功を収めることに成功した要因としては、「総合的に物事を考えられる」ということが大きな要因であると考えられます。

時にリーダーは情熱や人を引っ張る熱意が重要であるというような根性論のようなものが多く語られますが、それは前提にあるものだと渋沢栄一の生涯から読み取ることが出来ます。それらは内に秘めるものであって、その先に総合的に物事を捉えられる視野の広さを持つことが重要であると感じます。

ビジネスでも先の展望を見据えながら、現状にフィットしていくことが求められることが多いと思います。理想を胸に秘めつつも、理想にたどり着くまでの道のりを多く考えられるリーダーが求められているのではないでしょうか。現代ではインターネット技術や人工知能技術などの技術進歩も目覚ましく、理想にたどり着くまでの手段は数多くなっています。だからこそそれらを柔軟にかつ、総合的に判断して取り入れる総合的な判断力が求められています。

ここまで渋沢栄一の生涯から学べる点にフォーカスして語ってきましたがどうだったでしょうか。渋沢栄一は派手な維新の志士たちの中では、知名度では劣りますが近代日本を形成した大人物の一人です。今年の大河ドラマでクローズアップされていることもあり、改めて渋沢栄一という人物を勉強できるチャンスでもあります。

これからスタートアップ企業を目指す人や会社の中でリーダーの役割を負っている方には非常に心に刺さる部分も多いのではないでしょうか。

是非 渋沢栄一からビジネスのヒントを学び、あなたのものがたり起業に生かして頂ければうれしいです。