【三菱の創業者】岩崎弥太郎の人生・名言から学ぶビジネスの基本!

明治の実業家、岩崎弥太郎(いわさきやたろう)。日本屈指の企業グループ、三菱財閥の創業者である彼の人生と名言からは、ビジネスパーソンに必要な多くの教訓が得られます。

 

「お金もちになりたい!」、「なんとしてもビジネスを成功させたい」というアツい気持ちをおもちの方。貧乏な家庭から三菱財閥のトップまで上り詰めた岩崎弥太郎のサクセススト-リーからぜひヒントを得てください!

 

岩崎弥太郎ってどんな人物?

岩崎弥太郎は三菱グループの創業者で、明治期に巨額の富を築いた実業家として知られています。三菱といえば、三菱商事や三菱UFJ銀行、三菱重工など国内トップの企業群をまとめる「日本三大財閥」の一角です。

 

そんな巨大財閥の創設者として活躍し、海運業で大成功を収めたことから「東洋の海上王」なんてちょっぴりカッコいい?あだ名で呼ばれていたりもします。

 

岩崎弥太郎の人生・エピソード

今でこそ「大成功した実業家」として知られる岩崎弥太郎ですが、彼の人生は決して楽なものではありませんでした。恵まれない境遇に生まれながら、努力で成功を掴み取った彼のサクセスストーリーを覗いてみましょう。

 

下級武士の家庭に生まれる

1835年、岩崎弥太郎は、土佐(高知)の地下浪人(じげろうにん)の家に生まれます。地下浪人と言えば当時のカーストでは下級も下級。武士の中でも最下層の身分で、非常に貧乏な家庭でした。

 

しかしそんな環境にも挫けず、学問に打ち込んだ弥太郎。20歳の時、ついに江戸へ学問に出るチャンスを掴みます。江戸でも見山塾という個人経営の塾で熱心に勉強していた弥太郎ですが、思わぬ形ですぐに土佐に戻ることとなります。

 

ビジネスの基本は獄中で学ぶ

弥太郎にとって向かい風となったのは、酒癖の悪い父・弥次郎(やじろう)の存在でした。弥次郎は酒の席で暴力沙汰を起こし、投獄されてしまったのです。

 

一家のトラブルに真っ先に駆り出される長男の悲しき定めと言えましょうか。父のトラブルを知った弥太郎は、たった1年で江戸から故郷へとんぼ返りすることになります。父の冤罪(えんざい)を主張するも聞き入れられず、腹を立て奉行所(現在の役所)の建物に文句を書いた弥太郎も投獄されるハメになったのです。

 

しかしそこで腐らないメンタルこそ、弥太郎の強さ。彼は獄中で商人から算術や商法について学びました。獄中生活ですらチャンスに変えてしまうそのストイックさなくして、岩崎弥太郎の成功はなかったはずです。

 

三菱グループを創業

出所後の弥太郎は、外国人を相手にした武器や船舶の輸入業務、坂本龍馬率いる海援隊(かいえんたい)の経理を務めます。

 

時は江戸から明治へ。武士の仕事が徐々に失われていく時代の流れを読んだ土佐藩士たちは、海運業者「土佐開成社」を立ち上げます。やがて弥太郎も土佐藩での仕事を失い、「九十九商会(つくもしょうかい)」と名を変えた会社の経営者に就任しました。

 

その後、社名を「三菱商会」とし、政府を相手に次々と大きな取引を成功させます。西南戦争や台湾出兵の際には、政府の軍事輸送を担い、国との結びつきを強化。海運業で大きな成功を収めたことから「東洋の海上王」と呼ばれるようになりました。

 

莫大な利益を元に、幅広く事業展開し、三菱グループの基礎を作り上げたのです。

 

渋沢栄一との対立とその後

国内での海運業を独占していた岩崎弥太郎ですが、その活躍を好ましく思わない者も少なくありません。特に渋沢栄一らが設立した「共同運輸会社」は三菱のライバル企業として君臨し、熾烈(しれつ)な競争を繰り広げました。

 

そんな中、弥太郎は51歳にして胃がんで亡くなってしまいます。彼の死後、三菱と共同運輸会社は合併し、三菱グループの源流とも言える日本郵船株式会社が設立されました。

 

岩崎弥太郎の名言

日本屈指の財閥を作り上げた岩崎弥太郎。彼の名言は、全てのビジネスパーソン、起業家が参考にすべきヒントで溢れています。

 

  • 貴様は立派な紙を使っているが、全国の支社が皆白紙を用いて貼ったならば、年間幾らの費用になると思うか。
  • およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、かならず大きな利益をもたらす。
  • 諸芸に秀でようとして、枝葉末節(しようまっせつ)の技術に時間をかけるのは、無能者のやることさ

 

皆さんは資産家に対してどのようなイメージをおもちでしょうか?金に糸目をつけず、夜は高級なバーで飲み歩く。そんな典型的な「お金もち像」を想像する人もいるはずです。しかし実際のところ、本物の富裕層はケチだと言われています。

 

岩崎弥太郎は、高価な白紙ではなく、古紙を使うことを推奨していました。有益な投資にはお金を惜しまない一方、ムダな出費は徹底的に控える。そんなお金に対するシビアさやストイックさこそ弥太郎の才能であり、資産家に必要な条件でもあります。

 

また弥太郎は、ビジネスにおける「give(与えること)」の大切さを理解していたのでしょう。仕事で信頼を得て収入を上げるためには、まず「自分がどうやったら貢献できるか」、「どうすればクライアントに喜んでもらえるか」を考え、実践する必要があります。会社やクライアントに自分のスキルを提供し、信頼を得ること。その積み重ねが大きな利益となって戻ってくると考えているわけですね。

 

弥太郎は「強みを更に伸ばす」スペシャリスト思考だったことも伺えます。あれもこれもと幅広く仕事をこなすことは立派ですが、逆にどれも中途半端になってしまうこともありますよね。子供の頃はよく「苦手なことを克服しなさい」と叱られるものですが、「一つのことを極め続ける」のも自分の価値を高める一つの方法ではないでしょうか。

岩崎弥太郎の人生・名言から学べるビジネスの基本

下級武士から財閥のリーダーにまで成り上がった岩崎弥太郎。彼の人生・名言からは以下のような教訓が学べます。

 

  • 恵まれない環境でも学び続けるしたたかさ
  • お金に対するシビアさ
  • 得意を極めることの重要性

 

獄中という恵まれない環境であっても「ただでは転ばぬ」心の強さは弥太郎を成功者に押し上げた大きな要因ではないでしょうか。こうして彼の人生を紐解くと、ストイックに事業に取り組む彼の姿が想像できます。

 

「これからビジネスを成功させたい!」という方はぜひ、岩崎弥太郎の精神や仕事に対する姿勢を参考にしてみてください!