初めて日本全土の地図を書いたことで有名な伊能忠敬(いのうただたか)。歴史に残る偉業を成し遂げた彼の人生と名言から、「年をとってもさび付かない挑戦心・行動力」の重要性と「夢の追いかけ方」学ぶことができます。
挑戦心や行動力はビジネスを成功させる上でも非常に重要な要素です。ぜひ参考にしてください!
伊能忠敬ってどんな人?
伊能忠敬は、江戸時代に活躍した学者です。歴史上初めて科学的な測量法を用いて日本全土の地図を作ったことで知られています。皆さんの中にも「日本史の教科書で見たことがある」という方が多いはず。
17年もの月日をかけて地図を作成した忍耐強さや継続力は、間違いなく伊能忠敬のストロングポイントです。しかしそれ以上にすごいのが、55歳になってから全土測量に挑戦したそのバイタリティや挑戦心ではないでしょうか。
伊能忠敬の人生・エピソード
加齢をものともしないスーパーエネルギッシュなおじいちゃん。日本地図をつくったエピソードばかりが注目を集めがちですが、その他にも広い分野で活躍した、オールマイティな才能をもつ人物として知られています。
まずは伊能忠敬の生涯を解説していきます。
出生
1745年、伊能忠敬は千葉県九十九里町(くじゅうくりまち)に、小関(こせき)家の三男として誕生します。幼い頃より「学者になりたい」という夢を抱いており、とりわけ算術や天体観測の勉学に余念がなかったそうです。
ビジネスマンとして開化
勉学に情熱を注いでいた伊能忠敬ですが、ビジネスの才能にも恵まれていました。忠敬は17歳になると、千葉県の伊能家に婿入りします。
伊能家は名主【なぬし】(役人)をしながら酒造や水運などの事業を行う名門商家でしたが、当時は酷く経営状況が悪化していました。しかし忠敬が経営の舵をとるようになると、業績は着実に回復。
商才はもちろん、質素倹約を好む彼の性格も大きかったのでしょう。隠居時には約3万両(現代で言えば30億~60億円)の資産を保有していたそうです。
村役人としても活躍
伊能忠敬は、役人としても非常に有能だったとされています。村政においても強い発言権をもっていた忠敬は、とりわけ村の治水事業や飢饉(ききん)対策で手腕を発揮しました。利根川の氾濫や天明の大飢饉といった災害に対応し、被害を最小限に食い止めました。
近世で最大規模の飢饉と言われる天明の大飢饉において、村の餓死者をゼロに抑えた功績からは、忠敬の役人としての手腕が伺えますね。
隠居から全土測量へ
ビジネスマン、役人と二足の草鞋(わらじ)で大活躍した伊能忠敬ですが、49歳で家業を引退。その後は江戸で天文学者の高橋至時(よしとき)を師として学問に励みます。自宅に天文観測用の設備を作り研究に没頭したというのだから、彼のストイックさや行動力には驚かされますね。
研究を進める中「地球の大きさを知りたい」と測量に興味をもった忠敬は、幕府の第一次蝦夷地【えぞち】(現在の北海道)測量に出願。雀の涙ほどの支給品と最低限の人材を頼りに、第一回の測量が行われることとなりました。
この測量は忠敬が55歳の時から計10回、17年に渡り実施されます。北海道から九州へ徐々に南下した後、最後は島や江戸市中の測量が行われました。もちろん当時は車も電車もありません。途中でけが人や病人が出たところですぐに医療設備の整った病院に直行できるはずもありません。
そんな劣悪な環境の中、17年をかけて約4万キロ(地球1周分の距離に相当)という途方もない長距離を踏破した伊能忠敬は、途轍もなくパワフルなおじいちゃんだったのでしょう。
やがて測量実績が認められ幕府の役人になった忠敬ですが、地図の完成を見ることなく、73歳で亡くなってしまいます。「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」が完成し幕府に提出されたのは、彼が亡くなってから3年後のことでした。
伊能忠敬の名言
数多くの苦難を乗り越えた人間の言葉には、それだけの重みや説得力が伴うものです。もちろん、全国を踏破した伊能忠敬の言葉も例外ではありません。
- 儲けは後回しにし、お客さんが喜んでくれることをやりなさい
- 人間は夢をもち前へ歩き続ける限り、余生はいらない
- 歩け、歩け。続ける事の大切さ
学術や政治力だけでなく、商才にも恵まれていた忠敬。「お客さんが喜ぶことを」という彼の言葉は「クライアントやチーム全体の利を追求することが、巡り巡って自分の利益に繋がる」というビジネスの本質をついています。
忠敬の名言には、「夢をもつこと」「継続すること」の大切さを説く言葉が多くあります。「歩け、歩け」という言葉は、日本全土を踏破した彼の口から出たからこそ、大きな意味をもつのではないでしょうか。
夢をもつことは人生を前向きに捉え、行動を起こすための原動力となります。人生は非常に短いもの。「今は忙しいから……」と夢や本当にやりたいことを後回しにしてしまうと、永遠に行動を起こすタイミングを失ってしまうこともあるわけです。
夢をもち、どんな時も前に進み続けた伊能忠敬だからこそ「日本全土の地図を完成させる」という壮大なミッションを成功に導けたのだとも考えられますね。
伊能忠敬の「プライドの低さ」に学ぶ「夢の追いかけ方」
忍耐力やスタミナ、商才など伊能忠敬の特徴は数多くありますが、中でも彼を成功に導いたのは「年齢に惑わされない強さ」ではないでしょうか。もちろんこれには全国を歩いた体力面での強さもありますが、注目すべきは、精神面の強さです。
伊能忠敬は恩師・高橋至時を生涯慕い続けていたと言われています。実は彼が弟子入りした時、至時は31歳だったということがわかっています。当時忠敬は50歳近いですから、20歳ほど年下の人物を師と仰いだわけです。
年齢に関係なく尊敬すべき人物は尊敬する。良い意味でのプライドの低さや柔軟性はビジネスにおいても大変重要です。相手が年下であろうと不遜(ふそん)な態度を取らず、時には頭を下げて教えを乞える。その姿勢があれば、伊能忠敬のように何歳になっても技術や知識を吸収し、夢を追いかけ続けられるはずです。
「もう年だから……」と夢を諦めてはいませんか?伊能忠敬の人生・名言を学ぶと、夢を追いかけることに年齢など関係ないことがわかります。彼の人生から教訓を得て、ビジネスや人生を楽しむヒントにしてください!
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