坂本竜馬の名言に学ぶ仕事の哲学

坂本龍馬の名言にこんな言葉があります。世の人は我をなんとも言わば言え我が成すことは我のみぞ知る。坂本龍馬は、日本を変えるために真剣に仕事に取り組んでいました。今の仕事が辛い、自分を変えたいと思っている人は、坂本龍馬の名言から自分を変えるヒントがあるかもしれません。

 

そこで今回は、坂本龍馬の名言に学ぶ仕事の哲学を紹介します。坂本龍馬の名言から、仕事の哲学、自分を変えるためのヒントを学んでいきましょう。

 

坂本龍馬とは

坂本龍馬という名前は、誰しもが1回は耳にしたことがある歴史上の人物です。名前は聞いたことがあるが、どんな人でどんなことを成し遂げたのかということは、覚えてない人もいるかもしれません。なので、まず最初に坂本龍馬とはどのような人物だったのかというのを紹介していきます。

 

坂本龍馬とは、天保6年西暦で1836年1月3日に高知県で生まれました。坂本龍馬が生まれたときには、すでに兄弟がおり末っ子としてみんなにかわいがられていました。幼少期の坂本龍馬は、かなり問題のある少年でした。

 

塾には行っても出来が悪くすぐに塾を辞めてしまったり、友達とすぐけんかをしてしまうなど問題が多い子供時代でした。12歳の時に母親が亡くなり、2番目の母に教育を受けることになりました。この母の最初の嫁ぎである川島家には、よく遊びに行き川島猪三郎から世界についての話をよく聞き、世界に興味を持ち始めました。

 

問題ばかりだった坂本龍馬が一気に変わったきっかけが14歳の時でした。坂本龍馬は、日根野道場で剣術を学び始め変わっていったのです。この道場で小栗流を学び、小栗流和兵法事目録を伝授されました。ここで、剣術の実力をつけ19歳の時に江戸へ剣術修行に出ました。

 

江戸では、北辰一刀千葉定吉に入門しました。この場所は、江戸で三大道場の一つで実力をどんどんつけていきました。ここで坂本龍馬は、北辰一刀流長刀兵法目録を身に付けました。この年の6月3日にペリーが率いる黒船が浦賀に来た時に、坂本龍馬も品川の湾岸警備に参加するほどの実力までつけてきました。

 

一年後に土佐にいったん帰りますが、また江戸にもどり道場で塾頭も務めました。そこで、免許皆伝を得ました。

 

1861年に坂本龍馬は親友、武市瑞山の土佐勤王党に入り尊攘運動に参加し山口県の久坂玄瑞のところへ足を運びました。そこで、坂本龍馬は久坂に大名も公卿も頼りにならないので志のある人が立ち上がらなければいけないと教わりました。

 

しかし、翌年に坂本龍馬は藩を脱藩してしまいました。脱藩した坂本龍馬は、江戸に行き高杉晋作らと関わりを持ちました。この人たちと出会ったおかげで、幕府政治総裁であった松平春嶽と話し合うことができ、坂本龍馬は大阪の海防策を提案しました。

 

坂本龍馬は、松平春嶽の紹介により勝海舟と出会った。勝海舟はこのころ、幕府の軍艦奉行並であり、坂本龍馬は弟子となった。勝海舟は、幕府に海軍士官養成所の神戸海軍操練所を設立を許可され坂本龍馬もそれに同行し、勝海舟の塾に入塾しました。そこで勝海舟の手伝いをしながら海軍の実力もつけていきました。

 

ここまで順風満帆だった坂本龍馬だったが、最初に池田屋の変が起こりさらに禁門の変が起こり幕府の怒りを買ってしまいました。それが問題となり、操練所も封鎖となってしまいました。操練所にいた坂本龍馬たちは場所を失うが、薩摩藩に助けてもらい長崎で亀山社中を作りました。

 

亀山社中は、特殊な組織で加入している人は脱藩浪人が多かったです。坂本龍馬は、薩摩藩のおかげでこの組織を作ることに成功し、またとても仲が悪かった薩摩藩と長州藩を仲良くさせ、薩長同盟を結ばせることに成功しました。

 

しかし、同盟を組ませたことにより幕府と戦える勢力を誕生させたので、坂本龍馬は幕府から危険人物としてみられることになってしまったのです。

 

1867年に幕長戦争が起こり、長州藩を助けるために亀山社中も参加しました。この時に坂本龍馬は、土佐藩に目をつけ自分のところに土佐藩を引き込むことは有利になると考え、坂本龍馬は土佐藩に復帰し、亀山社中は海援隊と名前を変え海援隊隊長に就任しました。

 

しかし坂本龍馬は同年の11月15日に、京都の近江屋で暗殺されてしまいました。この坂本龍馬の暗殺は、謎がとても多い暗殺になっています。

 

坂本龍馬の名言から学ぶ哲学

このように、坂本龍馬は日本にたくさんの変化をもたらした人物です。倒幕をさせるために薩長同盟を組ませたり、日本で初めて株式会社を作ったりと現在の日本にも影響を与えている人物ともいえるでしょう。日本の歴史を大きく変化させた坂本龍馬の名言から、学べることはたくさんあります。なので、坂本龍馬の名言から彼の哲学を学び、現代の生き方などを学んでいきましょう。

 

1、恥をいふことを打ち捨てて世のことは成るべし

この名言からは、周りの人の言葉などを気にしてしまうと行動を起こしにくくなってしまうということを言っています。これは、現代人の全員に当てはまることです。今の自分が嫌だから変えたい、今の仕事が嫌だから変えたいと思っても変わることが恥ずかしくて変えられない人が多くいます。

 

自分は自分、周りのことなんかは気にしても仕方ないです。周りの人は自分の人生を変えてはくれません。自分を変えるのは、自分だけなのです。考え方は人それぞれ違います。例えば身近なものでいうと、信号が青なのか緑なのか答えはあやふやです。全員が納得する答えなんてあるはずがないのです。自分が思ったことを貫くことが大事なのです。

 

自分がやりたいと思う、その気持ちが強ければ強いほど周りのことなんて気にならないのです。自分を強く持って行動しようと、現代人に大切なことを教えてくれている名言です。

 

2、人間、好きな道によって世界を切り開いていく

この名言では、好きなことや夢中になるものをやれば一流になれるし、その気持ちが仕事を行う上で重要なことと坂本龍馬は言っています。確かに、生きていくうえで嫌なこともやらなくてはいけないし、嫌いな仕事でもやらなきゃいけないこともあります。

 

でも、それではモチベーションは上がらないのです。好きなことだったら努力だと思わず、いくらでもやることができます。やっていたおかげでうまくなったりスキルが上がったりします。

 

しかし、嫌いなことややりたくないことだと仕事のスキルも上がらないし、まず第一に楽しくなくストレスもたまってきます。成果が大きいとか小さいで考えるのではなく、自分が一番やりたいことを考え、その気持ちに正直になるということを教えてくれる名言です。

 

3、人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ

世界を大きく変えたいと思っている坂本龍馬の気持ちが表れている言葉です。この言葉は、失敗なんか気にしては何もできないということを教えてくれます。現代の人は、失敗を恐れて行動ができないという人が多いです。

 

坂本龍馬のような日本を変えた人でも、たくさんの失敗をしています。でも、目指すところは変わらないので、大きな挫折や失敗をしてもあきらめずに挑戦し続けています。彼は失敗することは想定内と考えていたのかもしれません。

 

上を目指したり、挑戦しようとすると失敗というのはつきものです。たった一回の失敗を怖がっていては何も成し遂げることはできないのです。失敗を恐れず挑戦し続けることが大事ということを教えてくれる名言です。

 

坂本龍馬の名言から学び、大きな志を持とう

ここまで、坂本龍馬のことや彼の名言について紹介してきました。坂本龍馬はたくさんの名言を残し、日本に多大な影響を与えた人物です。彼の名言にこんなものがあります。

 

太平洋よりも大きな夢、志を持とう

 

このような名言があります。この名言のように大きな情熱を持ち、自坂本龍馬のように強く生き、幸せな人生を歩んでいきましょう。