淀殿(茶々)は男好きの蛇女?日本三大悪女の噂は本当か?

淀殿(よどどの)は、豊臣秀吉の側室(そくしつ)として知られる人物です。

彼女の生い立ちや悲惨な境遇から「悲劇のヒロイン」として扱われることが多いですが、同時に「日本三大悪女」の1人と言われているのは知っていますか?

今回は、悪女と言われる淀殿の失敗やエピソードついて解説します。

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淀殿ってどんな人?

淀殿は、豊臣秀吉の側室(そくしつ)の女性で、本名は茶々(ちゃちゃ)と言います。

当時は一夫多妻制ですから、有名な戦国武将にも多くの奥さんがいました。

「スケベおやじ」のイメージが強い豊臣秀吉にも、本妻・寧々(ねね)の他に、複数の側室がいたわけです。そのうちの1人が淀殿というわけですね。

彼女は子供のころに戦争で両親と死別したり、最後は自分も徳川に滅ぼされたりと悲惨な人生を送りました。

まさに日本史における悲劇のヒロイン。

そんな淀殿ですが、北条政子(ほうじょうまさこ)や日野冨子(ひのとみこ)らと共に「日本三大悪女」と呼ばれていたりもするんです。

歴史ドラマでも、よくヒステリックで強権を振りかざす人物として描かれていますね。

今回は淀殿の悪女説について解説していきます!

日本三大悪女・淀殿の酷すぎるエピソード

悲劇的な人生を歩みながら、悪女と呼ばれてしまった淀殿。

そんな彼女の悪女エピソードを見ていきましょう。

見境なしの男好き?恥を知らざる婦人

豊臣秀吉の女好きは有名な話ですが、側室の淀殿も大の男好きだったなんて話があります。

軍記『難波秘事録(なんばひじろく)』では、誰かれ構わず関係をもってしまう「大淫好色(だいいんこうしょく)、恥を知らざる婦人」とこっぴどい書かれ方がされています。

男性が何人もの妻をもつのは当たり前でしたが、女性はそうはいかない時代。

記録の内容が本当なら、淀殿のように男遊びの激しい人物はあまり印象がよくなかったのでしょう。

もはや都市伝説!蛇女淀殿

「絵本太閤記(えほんたいこうき)」という文献(ぶんけん)では、さらにひどい書かれ方をしています。

男好きのイメージ通り、若さや美貌に執着していた淀殿。

永遠の美貌を求めてかなり胡散臭い方法を試していたそうです。

その1つが、蛇の体と自分の体の一部を交換し、縫い合わせるというとんでもないものでした。

蛇の一部を取り込んだ淀殿は、みるみる妖艶(ようえん)な美貌と手に入れ、性格はますます嫉妬深くなった、更に蛇のように長い舌だったなんて書かれています。

この文献はフィクションも多い文献で、流石に淀殿の描写もかなり創作が入り込んでいると思われます。

ちょっとした出来事にどんどん尾びれがついて大事になってしまう。

都市伝説のような話ですよね。

死に追いやった豊臣秀次が夢枕に

豊臣秀吉は中々子供に恵まれなかったので、甥の秀次(ひでつぐ)を後継ぎに据(す)える予定でした。

しかしタイミング悪く、淀殿との子・秀頼(ひでより)が誕生したため、秀吉は秀次に切腹を命じ、死に追いやってしまいました。

ここにも淀殿が絡んでいるのではないか、という説があります。

「豊内記(ほうないき)」という書物では淀殿の夢枕にたった秀次が、こんなことを言ったそうです。

「自分だけでなく妻子らも卑(いや)しい者に斬首され、辱められた恨みは絶対に晴れない。秀頼を恨んでやるぞ」と。

このエピソードから、淀殿が秀次にうしろめたさを感じてたことがわかりますよね。

豊臣を滅亡に追いやったヒステリーおばさん

ドラマやフィクションの影響もあり、淀殿に「ヒステリックなおばさん」といった印象をもつ人もいますよね。

例えば徳川から服従を要求された時のこと。

淀殿は「徳川に従うくらいなら、秀頼を殺して自分も死にます!」と強気に拒絶したそうです。

実の子・秀頼からすればこんな迷惑な話はありませんね。

豊臣の跡取りとはいえ、まだ子供ですから「いやいや、マジで?勝手に殺さないでよ」と焦ったかもしれません。

結局徳川への忠誠を断り続けた結果、豊臣家は淀殿とともに滅亡を迎えることになりました。

淀殿は悪女に仕立て上げられた悲劇のヒロインだった

「三大悪女」とボロクソに言われてしまうこともある淀殿ですが、その元となったエピソードには信憑性のない話も多いんです。

今回紹介したエピソードに「それは流石にないでしょ」と思った人も多いのではないでしょうか。

「蛇女」だったり「夢枕」だったり、都市伝説チックな話が多いですよね。

実は淀殿について書かれた文献の多くは、江戸時代に徳川側の目線で書かれたものです。

当然、彼らからすれば、淀殿は覇権(はけん)を取り合った宿敵という立場。

こっぴどく書きたくなる気持ちも分かります。

それに、徳川幕府ができた当初は、まだまだ豊臣を支持する人が沢山いました。

徳川的には「豊臣サイドの淀殿を悪役に仕立て上げ、徳川のイメージアップに繋げたい」という下心もあったのではないでしょうか。

実はいい人?淀殿知られざる人格者エピソード

淀殿は、本当は侍女たちに慕(した)われる人格者だったのではとも言われています。

例えば、徳川に攻め込まれる前には、侍女(じじょ)たちを城から逃がし、命を救ったというエピソードが伝えられています。

また、生活苦に陥っていた信長の側室に対し援助をしたり、牢人(ろうにん)を養うために徳川に援助を求めたりと、弱者のために立ち上がることも多かったそうです。

淀殿の人生から学ぶ人生の教訓

残念ながら、権力や知名度のある人間ほど、大衆から批判されたり、時に中傷をうけてしまうのが現実です。

淀殿も、当時としては珍しく、一族を率いて活躍した女性です。

その泥臭さや我の強さが「悪女」と呼ばれるようになってしまった理由なのかもしれませんね。

力を付けた分、敵もできやすくなる。

批判や悪評に屈することなく、夢を追い続けたいものですね。

いかがでしたでしょうか?

今回の淀殿の話はお役に立ちそうでしょうか?

是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。

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それではありがとうございました。