女性だからと軽んじられたり、出世を阻まれる状況に悩んだことはありませんか?
女性進出が今後も期待される現代ですが、欧米諸国と比べると、やはり未だに男性有利な点が伺えます。
女性でもキャリアを積んでいくことを目指そうと謳われる一方で、結婚や出産を機に、キャリアアップを諦めなければならない女性も存在します。
女性だからこそ出来ること
今回は女性だからとキャリアを諦め、女性である為に失いかけている自信を取り戻してもらいたいという願いから、男尊女卑の色濃い時代に女性教育に一生を捧げた津田梅子という女性をご紹介します。
女性でも活躍できるという信念や志を学び、津田梅子のものがたりから、あなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。
若い頃「女性だし結婚できれば仕事をしなくても良い」と考えていた時期があった
方もいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし、実際に結婚や出産を経験すると、パートナーの仕事だけでゆとりのある生活は難しいものです。
結婚の有無に限らず、自身や家族の為にも、女性であっても社会で活躍し、自立することが必要な時代なのです。
これから性別に関係なく、社会で力を発揮していける方法をお話します。
この方法を知れば、諦めない姿勢と女性が活躍するという考えが身につきますので、是非知ってください!
津田梅子の人生
1864年、当時の江戸に一人の女の子が誕生しました。
父は江戸幕府の幕臣で、通訳もこなし、当時にしては珍しい男女平等を目指した人でした。
父は倒幕と常時に職を失いますが、その後娘である津田梅子は6歳のとき、当時北海道開拓使であった黒田清隆が計画した、女子のアメリカ留学へと参加します。
黒田清隆は女子教育への関心が強い人物で、梅子の父が留学計画を聞きつけ応募したのがきっかけでした。
こうして岩倉使節団の一員として、日本初の女子留学生5名が渡米し、梅子は10年間チャールズ・ランマン夫妻のもとで、アメリカの生活文化を吸収して育つのです。
梅子はその後英語に加えてラテン語やフランス語を学び、自然科学や心理学の勉強も進めました。
男女格差が立ちはだかる
そして1881年に日本へと帰国した梅子は、日本の教育における男女格差に驚愕するのです。
岩倉使節団で同行した伊藤博文と再会を果たすと、華族女学校への仕事を推薦され、3年程英語教師として勤めますが、再び渡米します。
ブリンマー大学で生物学を専攻した梅子は、蛙の卵研究を執筆し、その論文はイギリスの学術論文に掲載されるほどの高い評価を得ました。
そして同じ時期、「自分と同じように留学したい女子たちの為」と、自ら講演活動や募金活動を主導し、アメリカの支援者たちの助けを借りて、日本婦人米国奨学金制度を設立します。
この制度は後に25名の女性たちの留学を助け、利用者の多くが教育界で幅広く活動しました。
研究者としての道も選べた梅子ですが、帰国を選択し、教師の職へ戻ります。
女子英学塾を開校
当時の女子高等教育における、先駆的機関となりました。
それまで日本の女子高等教育とは、行儀作法の延長でしかありませんでした。
女子の高等教育がはじまったのは、1872年の学制発布からですが、旧帝国大学は「女人禁制」とされ、女子の入学が認められたのは1913年になってからです。
女性に教養を求めていなかった当時の日本社会。
それ故に女性は自身に対する自信を失い、自分の為に生きることすらできませんでした。
梅子は学校を設立する際、日本女子を救うためには教養が必要であると提言しました。
独自の教育方針を掲げ、進歩的な授業を受けられるようにカリキュラムを整え、女性教育に対して熱心に取り組みました。
1929年に64歳で亡くなるまで、女性の未来の為に尽力し続けたのです。
名言
「東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ。地位の低い者は召使いにすぎない」
現代よりも男尊女卑が濃厚な時代、日本には女性が社会へ出て活躍する機会も、場所もありませんでした。
しかし梅子は女子教育を通して、次のような女性像を目指しました。
「聡明で公平な判断ができ、責任感に溢れ能力がある、それ故に家庭では夫から尊敬され、社会から必要とされる女性」
現代にも通ずる考えですよね。
まとめ
「女性だから出来ない」という線引きを無くし、学び行動することで、誰にでも道を切り開くことは出来るのです。
梅子は自身の目標を達成する為に、渡米や自らの講演活動などを積極的に行いました。
自分から率先して行動し、諦めない姿勢を貫くことで、次第にその熱意は周囲へ伝わり、手を貸してくれる人々が集まります。
大きな目標を達成したいとき、自分だけで全てをこなすには限界があります。
女性だからこそできる、周囲との助け合いを目指し、忙しい毎日を楽しく乗り切れる工夫をしましょう。
女性の活躍は、今後も日本社会の活気となりますので、自らに自信を持ってくださいね。
今回は日本における女性教育の第一人者、津田梅子についてお話しました。
是非女性であることに誇りを持ち行動し続ける部分を、あなたのものがたり起業に生かして頂ければうれしいです。