自分らしく生きるコツ-前田慶次の逸話

「自分らしさ」という言葉は近年特に話題に上がることが多い言葉です。「オリジナリティを出して」という事を会社の中で指示されることも多いのではないでしょうか。さらには少し哲学的になってしまいますが、「自分らしさって何?」と悩む方も見受けられます。今回はそんな方へ向けて前田慶次という人物から人生のヒントとなるように解説していきたいと思います。

自分らしく生きるとは?


現代のストレス社会では自分というものを見失い、メンタル的に苦しい生き方となってしまっていることも多いです。そんな方に少しでも人生を楽に、そして豊かに生きていけるコツを前田慶次という人物から学ぶことが出来ます。前田慶次という人物はとにかく型破りな人物であり、そのような生き方を学ぶことで「そんな生き方でも大丈夫なんだ」と感じていただければ幸いです。

得意なこと、好きなことで勝負する

現在の変化スピードの速い世界に生きている私たちは様々は役割や結果を求められます。その中には「自分の不得意であること」や「自分が嫌いなこと」が往々にして多いです。その中で苦しい思いして、人生が上手くいかなくなるということになっている人は多いものです。得意なことで勝負するというのは、シンプルですがそれが出来ていない人も多いものです。

前田慶次とはどんな人物なのか?


戦国時代の人物ですが、当時の武士の基本レールからかなりかけ離れています。

前田と言えば、「加賀100万石」で有名な前田利家ですが、利家は叔父にあたります。当然前田家の一門的な扱いを受けていましたが、あっさり出奔します。この理由については不明ですが、次のような逸話が残されています。慶次は人を小馬鹿にする悪い癖があり、それを叔父の利家から度々注意していました。

ある日慶次が利家に「これからは心を入れ替え真面目に生きるつもりでございます、茶を一服もてなしたいので自宅に来て頂きたいと思います。」と招待します。これまで散々慶次の事で頭を悩ませていた利家は喜び、慶次の家に出向きました。

すると慶次は「今日は寒かったので、お茶の前にお風呂はいかがですか?風呂を沸かしておりますので」と言います。利家が風呂に入るため着物を脱いでいると、先に慶次が「丁度良い湯加減です」と言いその場を去った。利家がそれを聞き湯船に入ると氷のような冷水であった。利家は「また慶次に騙された!」と怒ってしまいました。

このように組織に属する人としては、上手く行っていないのですが武勇や教養という部分では群を抜いていました。

前田家を離れた後は京都で浪人生活を送ります。その中では茶道などの教養面での活躍が目立っています。上杉家家臣の安田能元とも親しく、2人での連歌が現在でも残っているなど文化面での功績が残っています。

武勇面では上杉家に仕官していた時代には、長谷堂城の戦いに出陣しており、この戦いは上杉家の敗北に終わったのですがシンガリを務め、過酷な撤退戦で功を立てています。

つまりは組織人としてはダメでも自身が得意とする教養面や武勇面で名を残す人物となったのです。

結論

ではなぜこのような生き方を前田慶次が出来たのかという点です。

これにはおそらくですが今を楽しもうという意識が強かったのではないかと考えています。これは時代的な要因も強いと思います。前田慶次が生きた戦国時代は文字通り、戦乱の時代でありすぐそこには死があったのです。

だからこそありのままに生きていきたいという思いが働いたのではないでしょうか。組織に属さないで、自分を偽らずに生きることはなかなかできることではありません。しかしだからこそ人を引き付ける魅力も生まれるのではないでしょうか。というよりもそんな計算をしない生き方こそが前田慶次なのかもしれません。

現代に生きる私たちも一つの価値観に縛られずに生きていたいものです。ただ組織に属している、いないではなくそこに捕らわれない自由な心を持っているべきだということです。現在はこうであるべきという考え方が多すぎるように思います。

だからこそ自分の心にしたがって生きるという人が居ても良いのではないでしょうか。前田慶次を学び少しでも楽に生きられるようになれば幸いです。