【尼将軍】北条政子の鬼畜すぎる悪女・鬼嫁エピソード

尼将軍・北条政子の人生や鬼嫁エピソードを紹介していきます。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻として知られる人物ですが、実はその破天荒な性格やエピソードから「日本三大悪女」なんて呼ばれてたりもするんです。
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北条政子ってどんな人?

北条政子は、鎌倉幕府をつくった源頼朝の妻にあたる人物です。
日本の歴史上、女性が政治権力を握ることは少なかったのですが、北条政子は政治面でもガンガン能力を発揮したことで知られています。
特に夫の源頼朝が亡くなった後は、たくましく一族を率い、尼将軍と呼ばれるようになりました。
日本史の「強い女」ランキングでも上位に入る女性と言えるのではないでしょうか。

北条政子のラブストーリー

北条政子の夫は、鎌倉以降長く続く幕府政治の基盤をつくった、源頼朝です。
当時の結婚と言えば、政治の世界で力を増すための政略結婚が当たり前。
しかし、頼朝と政子の結婚は極めてピュアなラブストーリーでした。
北条政子が源頼朝と出会ったのは、まだ3歳の頃。
13歳の頼朝が平家との戦いに敗れ、伊豆に流されていた時のことです。
つまり幼馴染ということになりますね。
2人が結婚したのは、政子が21歳の時の話ですから、およそ18年にも及ぶ仲だったということになります。
普段はバリバリ働くクールさを持ちながら、恋愛に関してはピュアな一面のある女性だったことが伺えますね。

北条政子の悪女・鬼嫁っぷりが分かるエピソード

頼朝との純愛っぷりが心を打つ北条政子ですが、鬼嫁・三大悪女と呼ばれるに至った彼女のエピソードを知ると、印象は大きく変わってきます。

父の反対を押し切って頼朝と結婚

先ほど少し触れましたが、源頼朝は平家との戦いに敗れた罪人でした。
その上、当時の北条家は、平家から頼朝の監視を任されている立場ですし、罪人との恋愛など許されるはずもありません。
政子の父・北条時政も政子と頼朝の恋愛を知ると、激しく反対。
なんとか2人の関係を終わらせようと、強引に山木兼隆という人物との縁談を進めます。
しかし、頼朝への気持ちを捨てられなかった政子は、夜中にこっそり家を抜け出し、頼朝に会いにいったと言われています。
あまりに強い政子の思いに、結局時政が折れ、2人の結婚を認めるに至ったそうです。
平家にバレれば、すぐにでも北条氏一族が潰されかねない禁断の愛。
それでも諦めずにアプローチし続けた、政子の強くて大胆な一面が分かる逸話です。

浮気相手の家を潰す

鬼嫁・北条政子の真骨頂が表れたのがこのエピソードです。
一夫多妻制が当たり前の当時、頼朝も当たり前のように多くの女性と関係を持ち続けていました。
政子が目を付けたのは、亀の前という女性。
夫の浮気を知った政子は、亀の前の家を襲撃させるという暴挙に出たんです。
相手の女性の命は助かったそうですが、これに激怒した頼朝を含め、周囲を巻き込む大騒動に発展したようです。
浮気が当たり前の時代において、相手の家もろとも潰そうとする政子の行動は、頼朝を震え上がらせたに違いありません。

息子・頼家を幽閉する

鬼嫁は実の息子にも容赦ありません。きっかけは政子の長男・頼家の育て親にあたる比企氏との対立です。
比企氏は「将軍頼家の乳母」という立場を活かし、徐々に北条家での発言権を強めていきました。
これが気に入らなかった政子は、比企氏を攻撃して滅亡に追い込んだだけでなく、息子の頼家も修善寺に幽閉してしまうのでした。
女性が一族を仕切ることが少なかった当時において、どれだけ政子の発言権が強かったのかということが分かりますよね。

実の娘・大姫を追い込む

頼朝と恋愛結婚を果たした政子ですが、実の娘にはそれを許さなかったようです。
政子には大姫という娘がいました。
大姫には子供のころから慕っていた源義高という人物がいました。
しかし後に義高が反乱分子になりかねないと判断した頼朝は、部下を遣わせ、義高を暗殺させてしまいます。
心に深い傷を負った大姫ですが、政子と頼朝は遠慮なしに政略結婚の縁談を持ちかけます。
義高の死から10年以上たっても彼を想い続けていた大姫は、とても他の人との結婚を考えられる状況ではありませんでしたが、政子は強引に縁談を進めていくのでした。
大姫は19歳という若さでこの世を去ってしまいます。
諸説ありますが、義高の死や政子の強引な縁談が大きな心労になって体調を崩しがちだったようです。
一説には自殺したとも言われていますね。
自分は自由で破天荒な北条政子ですが、我が子に対しては毒親のような一面があったのだと思われます。

父親を追放し、尼将軍となる

政子が長男・源頼家を追放した後に実権を握ったのは、次男・実朝でした。
当時実朝はまだ子供だったので、政子の父・時政が補佐役を務める形です。
しかしそれをいいことに、自分好みの政治をしたがる時政に、政子は危機感を覚えます。
これまで家族であろうと対抗勢力には容赦ない対応をしてきた政子は、実の父親をも政治の世界から追放してしまうのでした。
あらゆる政敵を追放した政子。
息子の実朝は暗殺されてしまったため、藤原氏から将軍を迎え入れ、事実上自分が実権を握るようになりました。
出家し尼となりながら、将軍家の実権を握った政子は「尼将軍」と呼ばれ、現在でも日本史の教科書に重要人物として登場していますね。

尼将軍・北条政子から学ぶカリスマ性

油断すれば寝首をかかれる武士の世において、彼女のようなカリスマ性と強さをもった女性が権力を握ったのは必然だったと言えます。
承久の乱を前に「頼朝から受けた恩は山よりも高く、海よりも深い」と家臣たちを諭した名演説は有名です。
時に手段を選ばない強引さがありながらも、信念を守り、恩に報いる姿勢は現代でも多くの人を惹きつけるカリスマ性そのものですね。
いかがでしたでしょうか?
今回の北条政子の話はお役に立ちそうでしょうか?
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