【角倉了以から学ぶ 営業術】

営業がうまくいかないと悩んでいませんか?

 

独りよがりでは決してうまくいかないものですし、その道の成功者たちを見ると、やはり他人との関係を大事している場合が多いのです。

 

今回は角倉了以の、ものがたりからあなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。 

角倉了以はどんな人物?

了以はもともと医学の家に生まれました。父の代から金持ちだったのですが、了以は南蛮貿易で財を成し、やがて京都随一の豪商と呼ばれます。

 

並みの経営者なら、業績と財産にあぐらをかいてしまうところですが、了以は違いました。 豊臣秀吉が宣教師やキリシタンの弾圧を始めると、いずれ南蛮貿易が廃れると考えて徳川家康に接近します。

 

案の定、家康が天下を取ることになり、今度は朱印船貿易を認められるのです。 朱印船貿易とは、徳川幕府の朱印(いわゆるお墨付き)をもらって貿易船を派遣すること。いわば国家の後ろ 盾があるので安心安全。これに勝るおいしい仕事はありません。 

プロセスが大事

了以は「この事業は息子に譲ろう」と考えます。そこで朱印船貿易以外に情熱を傾けられるものを模索し、自分の家のために働いてきたが、これからは人のためになる仕事をしようと。

 

そこで了以が着目したのは水運でした。京都には鴨川や保津川など近くに河川は流れているもの、物流インフラとして活用されていませんでした。保津川から運河を南北へ通し、南の伏見まで伸ばしていけは京都はきっと豊かになり、人々も潤うだろうと考えたのです。

 

しかし運河の延長距離は10キロに及び、並大抵の工事ではありません。また工期も費用も相当要することになるでしょう。しかし了以は金に糸目は付けませんでした。ありったけの財をつぎ込もうとしたのです。

 

また大きな問題も立ちはだかります。運河だけに深く掘れず、水深30センチの深さを確保するのがやっとでした。これでは通常の運搬船が航行することなどできません。

 

そこで了以はアイデアを捻りだしたのです。かつて備前で見た平船がヒントとなりました。「よし、あれでいこう!」と。それは浅い水深でも難なく航行できる船「高瀬舟」でした。

 

高瀬川と呼ばれる運河が完成したのは4年後のこと。丹波地方で切り出された木材や農産物が、高瀬川を通って 京都や大阪へもたらされました。 従来は街道をひたすら牛や馬で運搬するしかなかったところ、高瀬舟で大量に輸送できるようになったので す。これで滞りなくスムーズに物が運ばれ、運賃も驚くほど安くなったといいます

 

この運河開削事業で了以は心血を注いで先頭に立ちました。その姿を見た多くの人々は了以を慕い、誰もが進んで作業に協力したといいます。 「この川が完成すれば、きっと皆の暮らしも豊かになるだろう」 多くの戦乱で幾度も荒れ果てた京都でしたが、了以の興した水運事業は明治に至るまで続けられ、江戸や大阪 に勝るとも劣らない大都市となったのです。

 

また了以は慈悲の人としても知られていて、工事で亡くなった人を手厚く弔い、嵯峨の地に大悲閣を建立してい ます。また切腹させられた豊臣秀次と妻子たちを埋めた「悪逆塚」が荒れ果てていたのを憐み、「悪逆」の二文字を削って塚を修復し、供養のために瑞泉寺を建てたのです。

 

了以は先見の明があると同時に、人を大切にし、その気持ちに寄り添うことで人々の信望を得ました。また自らが良かれと思うことに対して出資や投資を惜しまず、やがて自分への徳として戻ってくることを期待したのです。 

まとめ

営業とは単にモノを売る仕事ではありません。売るだけなら自動販売機だって出来ますよね。

 

しかし仕事の醍醐味とは、そこに人が介在しているということに尽きます。 人と同じ気持ちを共有し、同じ価値観を持ってはじめて人間関係が完成します。信頼とはそういった関係から 始まるのではないでしょうか。 

 

モノを売る、数字を上げる以前に考えたいプロセス。それは同じ職場・取引先から信頼を得る努力をすること、また行動を惜しまないことです。 よく言いますよね。「営業はモノを売るんじゃない!人を売るんだ」と。だからこそ、あなたの人徳を売り込んでほしいですし、人の縁を大事にしてほしいのです。

 

今回は「人間関係」についてお話しましたが、是非こちらの「人間関係」という部分をあなたのものがたり起 業に生かしていただければ嬉しいです。