経営の神様【松下幸之助】人材育成のプロが考える経営の秘訣を解説

松下電器(現:パナソニック)の創業者・松下幸之助は、経営の神様と呼ばれた人物です。私財70億円を投じて「松下政経塾」を設立するなど、後世の経済を支える人材育成に注力してきたことでも有名ですよね。

 

今回は、松下幸之助のエピソードや名言から、人材育成や経営の考え方に迫ります。先見の明を持ち、人を見続けてきた松下氏からは、時代に左右されないビジネスマインドが学べます。ぜひ参考にしていきましょう。

 

松下幸之助とは

松下幸之助は、松下電器を創業後数々の家庭用電化製品をヒットさせると同時に、幾度となく長者番付上位に名をあげ、日本史上最高額の遺産を遺した人としても有名です。そんな彼も、初めから順風満帆というわけではありませんでした。

 

まずは、松下幸之助の生い立ちや功績を解説していきます。

 

幼少期

1894年(明治27年)、松下幸之助は和歌山市の裕福な農家に生まれました。しかし父親が米相場で失敗し、9歳のとき大阪にでっち奉公(火鉢店や自転車店での下働き)に出されます。

その後、現在の関西電力(大阪電灯)で働くことになりました。

 

独立~大企業へ成長

1918年(大正7年)23際の時、「自分のアイデアを形にしたい」と独立し、松下電器具製作所を設立。自転車の電池式ランプや、電灯が簡単に取り付けられるソケットなどを発明し、大正時代の庶民に大ヒットします。

 

妻と弟と始めた小さな会社は、15年間で従業員1200人の大企業に成長していくのです。

 

週休二日制の導入

昭和11年、日本でいちはやく週休2日制を導入したのも松下幸之助で、日本人の勤労意識に大きな影響を与えました。

 

松下幸之助は、労働基準法で週休制が導入(昭和22年)されるより約10年も早く、週休2日制を採用し働き方改革に着手していたのです。

 

法律に先行して労働環境の改善を実行した彼は、先見の明と行動力に優れた経営者だったということがわかりますね。

PHP創設

1945年(昭和20年)第二次世界大戦終戦直後、松下幸之助は人々が心身共に豊かな世界をつくるために、繁栄、平和、幸福の頭文字を合わせた「PHP研究所」を創設します。松下幸之助は、社会人として困窮した社会情勢を変えなければならないと考えていたのでしょう。

 

PHP創設からほどなくして、高度経済成長期に入る日本。松下は家庭用電化製品(TV、洗濯機、冷蔵庫など)を次々に製造し、いずれも大人気商品となって日本人の生活スタイルにも大きな変化をもたらしました。

 

松下政経塾の設立

1979年(昭和54年)松下幸之助は私財70億円を投じて「松下政経塾」を設立します。日本の将来のために、新しい考え方で社会を動かす人材を育てたいという思いからの設立でした。

 

松下は、人材育成はもちろん、研究や文化活動への援助も惜しみなく行います。常に未来を見据えた行動をとり、事業を通じて人々の生活文化の向上に貢献することを欠かさない人物だということが分かりますよね。

 

松下幸之助の経営精神は、常に社会とともにあったと言えるのではないでしょうか。

 

松下幸之助が残した名言の数々

松下幸之助は、政経塾や各種講演会、執筆した本の中で、たくさんの名言を残しています。時代が移り変わっても変わらずに響く言葉からは、経営に欠かせないたくさんのヒントを見いだせるはずです。

衆知を集める

松下幸之助は、「経営はトップのワンマンで動かすものではない」と話しています。組織にいるならば、知恵を出し合い互いの考えに耳を傾け、一人一人の経営に対する思いを結集する必要があるという意味です。

 

個々の成長にも会社の進むべき方向性にも、1人の才能だけでは限界があります。起業して従業員を抱える立場になるなら、肝に銘じたい考え方ですよね。

 

ものをつくる前に、人をつくる

松下幸之助は、「『松下電器は何をつくるところか』と質問されたなら、『松下電器は人をつくるところでございます。あわせて商品も作っております』と話す」と語っています。

 

自分達がつくる商品で人々を幸せにしたい。そんな時に大切なのは、つくり手の熱い思いなのでしょう。採用後どう人を育てていくかは、企業が成長していくうえで欠かせない課題です。学力や技術だけでなく、仕事の心構えや熱い思いにも注目した採用、教育もビジネスパーソンには、参考になるのではないでしょうか。

 

他にも、時代を越えて心に響く名言の数々がありますのでご紹介します。

 

  • 失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい
  • 正当以上の卑屈な努力までする必要はない
  • 人間は本来、働きたいもの。働くことを邪魔しないことが一番上手い人の使い方である
  • 知識なり才能なりは、必ずしも最高でなくていい。しかし熱意だけは最高でなくてはならない
  • 売る前のお世辞より、売った後の奉仕。これこそが永久の客をつくる
  • 無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

 

松下幸之助の伝説的エピソード

経営の神と呼ばれた松下幸之助ですが、いくつもの難局を乗り越えた人物でもあります。ここで1つのエピソードをご紹介しましょう

 

従業員の士気を高めたトップの言葉

アメリカの大恐慌を受け、松下電器でも倉庫に入りきれないほど在庫が溢れた時期がありました。従業員はいつ解雇されるか不安な状態にありましたが、松下はこういいます。

 

「明日より生産は半分にする。でも従業員は一人も減らさない。給与も今まで通り全額支給とする。その代わり休日返上で在庫を売る」

 

その言葉に従業員たちは歓喜し士気を上げ、社員たちは溢れかえった在庫を2ヶ月足らずで販売したといいます。

 

松下幸之助まとめ

社会や人にどれだけ貢献できるかを常に考え続けた「松下幸之助」。彼の哲学からは、どんなマインドで仕事に向き合うか、その大切さを感じられたのではないでしょうか。

 

経営に欠かせない数多くのヒントがありますので、ぜひビジネスに活かしてみてくださいね。