夏目漱石は引きこもりだった?文豪の挫折と恥ずかしすぎるクセ

夏目漱石と言えば「こころ」や「吾輩はねこである」「坊ちゃん」などの名作に代表される明治期の文豪です。
国内外問わず愛される小説家ですが、そんな彼にも人に言えないクセやコンプレックスがありました。
今回は、夏目漱石の人生の失敗や功績について解説します。

夏目漱石ってどんな人?

夏目漱石は、日本を代表する文豪の1人です。
日本国内だけでなく、海外でも有名な作家で、その作品は世界中で広く愛されています。
「こころ」や「吾輩は猫である」などの代表作がありますが、「こころ」は現代文の教科書で読んだことがある人も多いのではないでしょうか。
間違いなく日本文学を語る上でも、社会人の教養としても学んでおきたい偉人の1人です。
しかしそんな彼にも、大きな失敗は挫折がありました。
まずは彼の人生から学んでいきましょう。

夏目漱石の人生

夏目漱石は、1867年に現在の新宿区喜久井町に生まれます。
実家は裕福でしたが、漱石は9歳になるまで養子に出されました。
養父は浮気性な上に貧乏で、漱石は非常に苦労したそうです。

学業成績トップの秀才

それでも学問の才には恵まれていた漱石。
学業成績は常にトップクラスで、大学予備門ではほとんどの教科で主席でした。
とりわけ得意だったのは英語で、1890年には東京帝国大学、今でいう東大の英文学科に進学します。
その優秀さから、大学時代には「教授から『方丈記』の英訳をお願いされた」なんてエピソードも残っています。

英国留学と作家への転身

大学卒業後、中学・高校の英語教師をしていた漱石ですが、英語研究の為、政府からイギリスへの留学を命じられます。
しかし後に説明しますが、この英国留学は漱石にとって成功とはいえない結果に終わります。
漱石が作家への道を歩みはじめたのは、英国からの帰国後でした。
猫の視点から人間の世界を面白おかしく描いた「吾輩は猫である」に始まり、「坊ちゃん」「虞美人草」などを発表していきます。
作家としての人生を選んだ漱石は教師を辞め、1907年に朝日新聞社の連載作家となるのでした。

闘病生活と後期三部作

次々とベストセラー作品を発表していく漱石でしたが、1910年、「門」の執筆中に胃潰瘍で入院してしまいます。
療養先の修善寺では800グラムの血を吐いて、一時は生死の境をさまよったという話もあります。
その後、何度も入退院を繰り返しながら後期三部作と呼ばれる「彼岸過迄」「行人」「こころ」を発表。
しかしながら病気は回復せず「明暗」の執筆中、49歳で亡くなってしまいました。

夏目漱石の挫折と失敗

現代では世界的に有名な文豪と評されている夏目漱石ですが、決して全てが順調に進んだわけではありませんでした。

イギリス留学で引きこもりに

33歳の時にイギリスに留学した漱石。英国で大きな挫折を味わいます。
英語教師というだけあって語学力には自信のあった漱石でしたが、現地で彼の英語が全く通用しなかったのです。
そのためイギリスでの生活に馴染めず、下宿先に引きこもってしまったそうです。
しかも政府から支給されるお金ではとても足りず、極貧生活を余儀なくされていました。
結果的に神経衰弱に陥ってしまった漱石は、任期前に日本に帰国することとなったのです。
漱石は著作「文学論」の中で「ロンドンの2年間は最も不愉快で哀れだった」と語っています。
しかしこの時神経衰弱の治療の一貫として始めたのが、執筆活動だったんです。
のちに漱石の名を世界に轟かせるきっかけになった出来事だと考えれば、失敗だったとは言い切れませんね。
現代でも漱石と同じような悩みを抱える留学生は多いでしょう。
しかし異国の生活に馴染むのは、当時の英語教師にとってすら難しいミッションだったんです。

執筆に行き詰まると鼻毛を抜く

世界に誇る日本の文豪・漱石にも恥ずかしい裏の顔がありました。
彼は小説の執筆に行き詰まると、自分の鼻毛を抜いて原稿用紙にくっつけるクセがあったのです。
よく目にする肖像画のダンディなおじ様像からは、想像できませんよね。
ちなみに、彼の鼻毛がついたボツ原稿は、弟子の内田百聞が保管していたそうです。
後に戦災で焼けてしまったそうですが、偉人の恥ずかしい一面として今でもよく語られるエピソードです。

神経質でナイーブなDV男

漱石は性格面でも一癖二癖ある人物でした。
神経質で気が短く、嫌なことがあるとすぐ家族に暴力を振るったり、物に八つ当たりすることが多かったようです。
また彼はプライドが高いことでも知られています。
漱石が英語教師をしていた時のこと。
漱石の説明と辞書の記述が違うことを生徒に指摘されたことがあります。
すると漱石は「辞書の方が間違っている。直しておきなさい」と指示したそうです。
この頑固さや我の強さは本人も自覚していたと言います。
彼のペンネーム「漱石」は、自分の失敗を認めず言い逃れをする様を表す「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」からとっているようです。

夏目漱石のエピソードから学ぶ失敗の捉え方

漱石ほどの人物でも、おおきな挫折や失敗を経験するものです。
しかしそれを気に病んで歩みを止めるのか、成功の第一歩と捉えて前を向くから本人次第です。
漱石は自分のイギリス留学を失敗と捉えていたようですが、結果的にそれが作家としての大一歩になったわけです。
成功の鍵は、自分が失敗だと決めつけているものの中にこそあるのかもしてませんね。
いかがでしたでしょうか?
今回の夏目漱石の話はお役に立ちそうでしょうか?
是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。