『ハリーポッター』J.K.ローリングはうつ病だった?離婚・生活保護から億万長者へ

J.K.ローリングは、大人気「ハリーポッター」シリーズの作者として知られる人物です。

推定資産800億円を超えているとも言われ、世界屈指の成功者と言っても良いでしょう。しかしハリーポッターシリーズがヒットする前は、貧困やうつ病に苦しめら、苦難の人生だったそうです。

今回は、J.K.ローリングの生い立ちや人生の失敗・功績について解説していきます。このブログでは、女性起業家のためのヒントになる、歴史上の偉人や物語の主人公たちの失敗談や成功エピソードを沢山載せています。是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。

J.K.ローリングってどんな人?

J.K.ローリングは、世界で5億冊以上の売り上げを記録したベストセラー小説「ハリーポッター」シリーズの作者です。

日本にも、熱狂的なハリポタファンが沢山いますよね。世界的なヒット作品を生み出した彼女の推定資産は800億円を超えるとも言われています。そんな成功者・J.K.ローリングに憧れる方も多いのではないでしょうか?しかし彼女の人生は、華々しいベストセラー作家のイメージとは真逆の、失敗と苦悩の連続でした。

J.K.ローリングの人生の失敗

成功者に見える偉人の人生にも、上手く行かない時期があります。今回は、J.K.ローリングの人生の失敗にスポットライトを当てていきましょう。

学生時代

J.K.ローリングは1965年、イングランドの南西部、グロスターシャーの町に生まれました。

彼女は子供のころから読書家で、学校の成績も常に優秀、真面目な性格で、女子生徒長に任命されたこともあるようです。しかし、15歳の時に母が多発性硬化症(たはつせいこうかしょう)という難病に罹患してしまいます。大学ではフランス語と古典文学を学び、これまた優秀な成績で卒業。

母は車いすで彼女の卒業式に参加したそうです。

放浪時代と母の死

卒業後のJKローリングは、職を転々とし、不安定な生活をしていました。最初に「ハリー・ポッター」の構想が浮かんだのは、当時恋人がいたマンチェスターからロンドンに戻る電車のことだったそうです。しかし彼との関係は長くは続かず、その上1990年には母が亡くなってしまいます。

悲しみにくれた彼女は、ポルトガルに移住し、英語教師として働くようになりました。移住先で出会ったのが、ジャーナリスト志望の学生、ジョルジェ・アランテスでした。ローリングは妊娠し、アランテスと結婚します。

流産と離婚

最初の結婚は、ローリングにとっては最悪の結末を迎えます。2人の最初の子は流産してしまったのです。アランテスにも大きな問題がありました。彼はローリングが稼いだお金を勝手に使うなど、いわゆるヒモ体質な男性だったそうです。

その上薬物の使用や家庭内暴力などの問題行動も多く、2人の結婚生活は1年ほどで幕を閉じました。母を既に亡くし、父と不仲だったローリングには帰る場所がありませんでした。

うつ病と生活保護

行くアテの無かったローリングは、しばらく妹のいるスコットランドのエディンバラで居候(いそうろう)のような形で過ごします。教師を辞め、お金もない彼女は、極貧生活を余儀(よぎ)なくされました。自治体が用意した格安アパートに住居を移し、生活保護を受けて受けてなんとか暮らしていたようです。

この時の受給額は週69ポンド。今の日本円に直すとおよそ1万円といったところです。ローリングは、二回目の妊娠で出産した娘を抱えたシングルマザーでした。生活保護だけでやっていくにはかなり無理がありますよね。窮地に立たされた彼女は、深刻なうつ病に悩まされ、自殺を考えたそうです。

イギリスでの初版発行部数はたったの500部

せめて娘の生活を守りたいと思ったローリングは、大学教師の養成コースに通いながら、自宅やエディンバラのカフェで執筆を続け、ついに「ハリー・ポッターと賢者の石」を完成させました。うつ病に悩まされながらも必死に書き上げた原稿でしたが、まともに取り合ってくれる出版社は中々見つかりません。

12社もの出版社に原稿を送るも良い返事は貰えず、最終的にロンドンのブルームズベリー社から出版されることになりました。今で誰もが知るベストセラーのハリポタシリーズですが、最初から十分な評価を受けていたとはとても言えませんでした。ハードカバー版「賢者の石」の初版発行部数はたったの500部。

子供を養っていくには厳しすぎる数字ですね。

JKローリングの成功「ハリポタ」の大ヒット

ローリングの努力がようやく実を結んだのは、アメリカで「賢者の石」が発売された後のことでした。

イギリスでは500部しか発売されなかった本作ですが、アメリカでは5万部で発売されました。すると、瞬(またた)く間に売り上げを伸ばしていき、世界中で大ヒットを連発するようになります。日本でも新作が発売されるたびに、書店に行列ができる光景がよく見られましたね。

ハリポタシリーズが映画化されたことで、その人気はますますうなぎ登りになり、世界の映画史上でもトップクラスの興行収入を記録したのです。ローリングは英国勲功(くんこう)賞やアンデルセン文学賞などといった数々の賞を受賞し、世界屈指の資産家となりました。現在は医師の男性と再婚し、更に2人の子供と出産、幸せな家庭を築いているようです。

J.K.ローリングの失敗から学ぶ人生の教訓

J.K.ローリングはハーバード大学でスピーチを行った際、こんなことを語っています。

「ある程度の失敗は、人生において避けて通ることができません。失敗しないようにするには、死人のように及び腰になって生きるしかありません。そのような人生は、元から失敗だと言えるでしょう」

彼女ほどの成功者でも、人生に絶望していた時期がありました。しかし、どんなにつらい時でも執筆を続け、作品を世に出した忍耐強さと行動力こそ、彼女を成功者たらしめた才能ではないでしょうか。

いかがでしたでしょうか?

今回のJ.K.ローリングのお話はお役に立ちそうでしょうか?是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。よかったらコメントもしていただけると嬉しいです。それではありがとうございました。

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