安藤百福|七転び八起きの起業人生から学ぶ行動力とバイタリティー

安藤百福(ももふく)といえば、日清食品の創業者でインスタントラーメンやカップヌードルを開発した発明家としても有名です。40代半ばから大成功を収めた百福は、失敗経験も多いですが、決して歩みを止めずに行動し続けました。

 

そこで本記事では、安藤百福の生涯と事業の成功・失敗から、行動力やバイタリティーをビジネスのヒントにして欲しいと思います。波瀾万丈の百福の人生は、これから起業する方やビジネスパーソンの背中を押してくれますよ。

 

安藤百福の生涯と事業経歴

安藤百福は、日清食品の社長・会長を務め、一代で世界的企業に成長させた人物です。事業家としてあらゆる分野でビジネスを展開し、若い頃から一目置かれる存在でした。

 

2018年NHK連続テレビ小説でドラマ化された「まんぷく」は、百福の妻、仁子(まさこ)さんがモデルとなっていましたね。ここでは、安藤百福の波瀾万丈な事業経歴を詳しく掘り下げながら、ビジネスヒントを見つけていきましょう。

 

出生から成人まで

1910年明治43年、百福は日本統治下の台湾で生まれました。父母を早くに亡くした百福は、呉服店を営む祖父母の下で育ちます。商売をいつも間近で見てきた彼にとっては、そろばんも遊び道具のひとつだったため、計算も自然に覚えたそうです。

 

メリヤス商社が大当たりした20代

1930年昭和5年、百福は図書館の司書として働きますが、わずか2年で辞めてしまいます。

 

「誰もやっていない新しいことがしたい」という思いから、父親の遺産を元手にしてメリヤス商社を設立。当時台湾ではメリヤス(肌着などに使用される繊維)が普及しておらず、メリヤスは大人気となりました。翌年、台湾から大阪に拠点を移し、日本で本格的にメリヤス事業に乗り出します。

 

【百福ポイント】

 

  • 手掛けた仕事:司書、メリヤス商社など
  • 「思い立ったが吉日」ということわざがぴったりの性格
  • 今何が求められているのかを探るアンテナの敏感さ

 

戦争、投獄、結婚|波瀾万丈の30代

1941年昭和16年、31歳のときに太平洋戦争が勃発。メリヤス生産は国の管理下になり商売ができなくなりました。さらに工場の資材が大量紛失し、百福は横領して私腹を肥やした疑いをかけられ留置所に入ります。留置所での劣悪な食生活を通して、百福は食べ物がどれだけ大切かを思い知らされることに。その後、京都のホテルで働く仁子さんに出会い、猛アタックの末35歳で結婚しました。

 

終戦を迎えると、町中に飢えた子供やうつろな目をした大人達が溢れます。百福は何か役立つことをと考え、海水で塩づくりをしたり、栄養食品の開発に勤しんだりしながら日清食品の前身となる中交総社を設立するのです。

 

【百福ポイント】

  • 手掛けた仕事:軍事工場、塩づくり、栄養食品の開発など
  • 日清食品の前身となる中交総社を設立
  • 社会問題に着目し、解決につながる事業を考える発想力

 

どん底から成功に転じた40代~50代

1951年昭和26年、百福は信用組合の理事長に推挙され就任します。しかし、どんどんお金を貸してしまい5年で破綻させてしまうのです。全財産を失った百福ですが、こんな状況でも楽観的だったといいます。

 

「失ったものは財産だけ。経験が血や肉となって身についた。」

 

そう言って、更なる挑戦を続けていきます。

 

1956年、めざましい高度経済成長をはじめた日本ですが、百福は全財産を失ったため波に乗れない状況が続きます。そんな時、戦後の闇市で皆が美味しそうに食べていた温かいラーメンを思い出したのです。

 

毎日毎日、小屋にこもってスープや麺の開発、簡便性や安全性を追求し、研究を繰り返しながら、48歳の時インスタントラーメンがついに発売されます。当時、高度経済成長期の最中に出稼ぎに来ている単身者も多く、インスタントラーメンは大人気となったのです。

 

59歳の時、販路開拓のため欧米視察にいった百福は、のちに片手で持って立ったまま食べられるカップヌードルを開発。当時、立って食べること自体が良風美俗に反すると批判もありましたが、「ラーメンを売るな、食文化を売れ」というスローガンのもと、どんどん販売数は増えていきました。

 

【百福ポイント】

  • 手掛けた仕事:インスタントラーメンの開発、販売
  • 開発の難しさにめげないやり遂げる力
  • 「いい商品は必ず世の中が気づく」売れない時期も自身の商品を信じぬいた

 

安藤百福のバイタリティーエピソード

カップヌードルの開発開始から5年、ついにアメリカで販売が始まります。すると、瞬く間にカップヌードルは大人気になり、国境を越えて愛されるようになりました。

 

日本では食の欧米化が進み、当時の食糧庁から「米の消費を促して欲しい」と依頼され、即席カップごはんを販売。人気が出たのは束の間でしたが、百福はここに30億円も投じて工場を作ってしまい、大きな失敗もしています。

 

カップうどんやカップ焼きそばで新時代を築く息子の手腕を認め、75歳で社長から会長に。しかし百福は、その後も誰よりも早く会社に行き、新商品は必ず試食するなど、熱意を欠くことなく邁進します。

 

91歳になった百福は、21世紀にふさわしい商品開発として宇宙食を手掛け、95歳のとき宇宙船ディスカバリー号に搭載されました。翌年、心筋梗塞で死去しています。

 

最後の最後まで商品に携わっていた安藤百福のバイタリティー。「人間は突き詰めれば『敬』と『愛』しかない」百福が言ったこの言葉こそ、彼を突き動かした原動力なのかもしれませんね。

 

安藤百福まとめ

安藤百福が経験した大きな失敗の数々。普通の人なら立ち上がれないようなダメージを受けてもなお、前を向いて走り続けた百福からは、行動力やバイタリティーの強さが生むものの大きさを教えてくれています。

 

起業できても、継続させるのは難しいこともあるでしょう。しかし、安藤百福のように熱意をもって行動すれば、ビジネスチャンスもきっと掴めるはずですよ!