【成功者の考え方】自分の今ある能力で戦う-足利義昭-

「成功者の条件」とはいったい何だと思いますか?努力?実績?考え方?どれも当てはまりますが、実は重要なファクターがあるのです。
今回は足利義昭の、ものがたりからあなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。

自分の能力で戦うとは?

出世したい、成功したい。それは誰しもが願うことですよね。しかし世の中を見渡せばライバルも多いですし、果たして自分にはできるのか?という弱い気持ちも出てしまうもの。どこから手を付ければいいのか?やっぱり迷ってしまうんですよね。

足利義昭とはどんな人物?

室町幕府最後の将軍となった人物です。将軍といえば聞こえはいいものの、領地もなければ、戦うための武力もほとんど持ち合わせていません。しいて挙げるなら生まれ持った高貴な家柄だけということでしょうか。

そんなこともあって義昭は若い頃から相当な苦労をしています。兄義輝も同じく将軍だったものの、あっけなく家臣に殺されていますし、いくら血筋が良いからといって油断ならない時代だったのです。そのため義昭も命を狙われる危険があり、側近だけを連れて逃げてしまいました。

転機

いっぽう新しい将軍には義昭の従兄弟(いとこ)が就任していて、それが義昭には悔しくてたまりません。そこで支援してくれるパトロンを探すわけですが、越前の朝倉氏をはじめ皆動いてくれようとしません。
しかし悲嘆に暮れる義昭を救ったのが、新進気鋭の大名だった織田信長でした。
ちょうど信長も中央政界に進出したい願望があったのでしょう。両者の利害は一致し、手を携えて京都への復帰を果たしたのです。改めて将軍となった義昭は信長のことを父と呼ぶほど慕っていたそうです。

しかしそんな蜜月の関係も終わりを迎えます。事あるごとに信長は義昭をないがしろにし、自分が思うままに政治を動かそうとしたのです。そんな信長に対して義昭は大きな不満を持ちました。
そこで信長を排除するべく、ある手段に訴えるのです。それが手紙作戦でした。各地の戦国大名へせっせと手紙を送り付け、自分の味方となるよう依頼したのです。

手紙の効果は絶大でした。周辺の大名たちがこぞって味方となり、一時は信長を窮地に陥れるほど有利となったのです。しかし信長もさるもの。武力を背景に敵対する勢力を次々に滅ぼし、ピンチを脱しました。やがて義昭と全面対決に及び、勝者となった信長は義昭を追放したのです。

その後どうなったのか?

義昭はこれで歴史の表舞台から姿を消すかに見えました。しかしここからが真骨頂だったのです。中国地方の毛利氏を頼った義昭は、なおもせっせと手紙を書き続け、武力ではなく自らの筆で信長と戦い続けたのです。
やがて本能寺の変で信長は明智光秀によって殺されますが、一説によると光秀は、義昭の手紙に感化されて謀反に及んだのでは?と唱える研究者もいます。

義昭はその後も将軍としての立場を最大限に生かしました。やがて豊臣秀吉に迎えられると、朝廷から准三后(じゅさんごう)という高い格式を与えられ、秀吉の良き相談役になったそうです。
追放されてもただでは転ばず、自分が最も得意とするところを処世術として生かし切ったわけですね。

結論

たとえ力がなくとも、自分の今ある能力で戦国の荒波を乗り切った足利義昭。やはり自分という人間をよく知っていたのでしょう。自分が今できることは何か?最も得意とすることは何か?それをよく理解していたからこそ、筆の力で戦い続けることができたのです。
これは現代社会でも同じことが言えるでしょう。決して背伸びすることなく自分のできることを伸ばしていく。そうすることで得意分野が広がり、裾野も広がっていくものです。

今回は「成功者の考え方」についてお話しましたが、是非こちらの「自分の今ある能力で戦う」という部分をあなたのものがたり起業に生かしていただければ嬉しいです。