【お市】二度の政略結婚に悲しい最期…絶世の美女が歩んだ壮絶な人生とは

お市の方、通称【お市】は、織田信長の妹としてこの世に生を受け、戦国時代屈指(くっし)の美女として知られる人物です。

お市は生涯で二度結婚しますが、そのどちらも「政略結婚」で、自身から望んだものではありませんでした。

戦国時代という過酷(かこく)な時代と家柄が関係しているとはいえ、普通だったら断りたくなるところですよね。そこをグッとこらえ政略結婚に応じたお市は、まさに意志が強い信長の妹といえるでしょう。意志の強さは、ビジネスを展開する上でとても重要です。

そんな意志の強さについて、お市から学んでいきましょう。このブログでは、女性起業家のためのヒントになる、歴史上の偉人や物語の主人公たちの失敗談や成功エピソードをたくさん載せています。

是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。

お市の生い立ち

お市は1547年、織田家の五女として生まれたといわれています。

戦国時代を生きた女性の文献はあまり残っていないため、前半生の詳細は今もわかっていません。ですが、お市は戦国時代を生きた女性の中でも特に美しい「絶世の美女」として知られ、兄である信長からも可愛がられていたそうです。また、お市は美しいだけでなく、非常に聡明(そうめい)な人物でもあったともいわれています。

まさに才色兼備。二度にわたる政略結婚が成立したのも頷けますね。

一人目の夫・浅井長政との結婚

お市が最初に結婚したのは、当時北近江(きたおうみ)を治めていた「浅井長政(あざいながまさ)」です。この政略結婚により、織田家と浅井家は同盟を結びます。政略結婚といわれると聞こえは悪いですが、実はお市と長政は夫婦仲がとても良く、おまけに美男美女夫婦として知られていたそうです。

お互いに容姿端麗(ようしたんれい)で聡明。三人の美しい娘たちにも恵まれ、まさに誰もが羨むような家庭を作り出した二人。しかし残念ながら、この結婚は長くは続きません。信長が約束を破り、織田家と浅井家が対立関係になってしまったからです。長政と信長は普段はとても仲が良く、信長の裏切りともいえるこの行動に長政は非常にショックを受けました。

このことをきっかけに、長政は信長を討(う)つことを決意。

「姉川(あねがわ)の戦い」の末、長政は信長に敗北し、自害してしまいます。残されたお市と娘たちは信長に引き取られ、約9年間、何不自由のない生活をして暮らしました。妹の夫と対立関係になってしまった信長ですが、長政が自害したあと、残されたお市たちを非常に気遣い、かなり贅沢をさせていたといわれています。

二人目の夫・柴田勝家との結婚

本能寺の変で信長が亡くなったあと、お市は織田家の重臣であった「柴田勝家(しばたかついえ)」と再婚します。

織田家の後継者を決める「清洲会議(きよすかいぎ)」で権力者となった豊臣秀吉が、「自分は織田家を乗っとるつもりはない」ということを証明するため、二人に結婚をすすめたからです。二度目の政略結婚に応じたお市ですが、ここでも幸せを掴み取ることが出来ません。

結婚の翌年、秀吉が勝家を攻め、「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」の末、勝家は秀吉に敗れ、自害してしまいます。勝家はお市に逃げるよう促しましたが、お市はそれを拒否。娘たちだけを逃がし、勝家と共に自害する道を選びました。当時お市は37歳、勝家は60歳で、親子でもおかしくないくらい歳が離れていました。

しかしながら、お市と勝家の夫婦仲はとても良好で、余生の短い勝家と最後を添い遂げたいという思いがお市にはあったのでしょうか。勝家も、自身が仕えた君主・信長の妹であるお市を、以前からとても大切に思っていたそうです。どちらにしても、結婚してわずか一年余りの人と共に自害するという選択は、常人にはなかなか成し得ないこと。

この壮絶な最期は、お市の芯の強さと、戦国時代の厳しさを物語っているように思えます。

お市の最期・辞世の句

燃え盛る越前北ノ庄城内(えちぜんきたのしょうじょうない)で、お市と勝家は共に自害します。

一説によると、自害の覚悟を決めたお市の腹を勝家が刺し、その後自身の腹を十文字に切り裂いたという、壮絶な最期が記されています。最期の瞬間、お市は辞世(じせい)の句を残しました。

『さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ 郭公(ほととぎす)かな』

この句を現代語に訳すと『そうでなくても 眠る間もないほど短い夏の夜に この世との別れを急かすのか ホトトギスよ』となります。「そうでなくても」とは、「敵に囲まれ、ただでさえ今すぐ自害しなければならないこんな状況でも」といった意味でしょう。

「ホトトギス」は、冥土の使いとしてあの世を連想させる単語として用いられます。「あなたに急かされなくてもわかっているわよ。放っておいてもそっちへ行くわ、ホトトギスさん」とでも言いたそうなこちらの句。周りから仕組まれた政略結婚を受け入れてきたお市の強さと、そして何より目の前の勝家との自害を心から覚悟している様子を現しているように思えます。

両親が自害したあと、城から逃れた三人の娘たちは、自分達の両親を自害に追い込んだ秀吉に保護されます。敵だったはずの秀吉になぜ保護されたのかというと、お市は自害する前に「娘たちの命を助けるように」と秀吉に手紙を送っていたからです。

過酷な戦国時代に見えた、母の愛。お市は心まで美しい女性だったんですね。

ちなみに、長女の茶々に関しては、後に秀吉の側室になったと言われています。お市を気に入っていた秀吉が、お市に一番良く顔が似ているからといった理由で茶々を選んだといわれていますが、茶々は相当複雑な気持ちだったのではないでしょうか。お市が生きていたら、とても許し難かったことと思います。

お市から学ぶ強さ

いかがでしたか?

激動の時代に翻弄されたお市でしたが、その強さは現代人も見習うべきものがあるように思います。家族に一人残らず愛を注ぎ、そして皆から愛されたお市の短い生涯は、まさに激動そのものだったのではないでしょうか。お市はなぜここまで強く生きられたのか。それは、「意志の強さ」にあるのではないかと思います。

お市は短い人生の中で、政略結婚、夫の自害、再婚などさまざまな経験をしてきました。生きる環境がガラッと変わっていたにもかかわらず、その度に適応し、家族を守っていたのです。環境が変わっても自分らしく生きていくには、強い意志がなければ難しいことでしょう。家族を守りたいというお市の強い意志には、見習うべきものがあります。

ぜひお市の経験を、あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。よかったらコメントもしていただけると嬉しいです。

それではありがとうございました。