【ココ・シャネル】古臭いファッションで大失敗!70歳からの大逆転劇

ココ・シャネルは、世界最高峰(せかいさいこうほう)のラグジュアリーブランド「シャネル」の創業者。

女性の多くが一度は憧れるであろうシャネルの香水、スーツ、バッグとヒット作の数々。

彼女の波乱万丈(はらんばんじょう)な人生を描いた書籍や映画なども数多く作られています。

そんなファッション業界の先駆者(せんくしゃ)として成功を収めたココ・シャネルですが、実は彼女の人生は皆さんの想像以上に壮絶(そうぜつ)なものでした。

自身が残した「失敗しなくちゃ、成功はしないわよ」という言葉にもあるように、彼女は人生で大きな失敗を経験しているのです。

いったいどのような失敗をし、またそれをどのように成功に変え乗り越えてきたのでしょうか?

今回は、そんなココ・シャネルの大逆転劇に迫っていきたいと思います。

このブログでは、女性起業家のためのヒントになる、歴史上の偉人や物語の主人公たちの失敗談や成功エピソードを載せています。

是非あなたのビジネスのヒントに役立ててみてくださいね。

ココ・シャネルの生い立ち

ココ・シャネルは1883年8月19日に、フランスのソミュール地方で生まれました。

12歳より前に母親と死別し、行商人(ぎょうしょうにん)の父親からは捨てられ、姉妹と共に孤児院(こじいん)や修道院(しゅうどういん)で育ったそうです。

ココ・シャネルは孤児院で6年間裁縫(さいほう)を学び、この時培(つちか)った裁縫スキルが「シャネル」創設に大きく影響することになります。

18歳で施設を出てからはお針子(はりこ)として働きながら、歌手を目指してキャバレーで歌を歌っていました。

ちなみに彼女の本名はガブリエル・ボヌール・シャネル。

「ココ」という名前は、このキャバレー時代に付けられた愛称だといわれています。

歌手として中々芽の出なかったココ・シャネルは、20歳のときにパリに女性用帽子のアトリエをオープン。

翌年の1910年、女性用帽子のアトリエとは別に、シャネル1号店となる「シャネル・モード」という帽子専門ブティックをパリのカンボン通りにオープンしました。

1913年にはドーヴィルに、1915年にはビアリッツに、オーダーメイド服専門店「メゾン・ド・クチュール」を構え、ここから「シャネル」は世界的高級ブランドの階段を登り始めます。

事業のために男性を踏み台にしていた?

そんなココ・シャネルは、恋多き女性として知られています。

しかし、ただ闇雲(やみくも)に恋愛をしていたというわけではなさそうなんです。

初めてアトリエをオープンした時、ココ・シャネルは資産家や実業家の彼氏から援助を受けていました。


その後も自身の目的が変わるたび、恋人も変わっていることが噂されています。

ここまで言えばもうおわかりかもしれませんが、ココ・シャネルは「シャネルの発展を軸に彼氏を選んでいた」可能性があるのです。

事業のためには恋愛をも操(あやつ)ってしまうココ・シャネル。

かなりの野心家であることが想像できます。

ココ・シャネルの失敗とは

さて、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に見えるココ・シャネルの人生。

しかし実は彼女、大きな失敗を犯(おか)し、逮捕されたという事実が。

さらにそこから這(は)い上がった際、「ダサい」とけなされていたのです。

一体彼女の身に何があったのでしょうか…。

スパイとして逮捕

なんとココ・シャネル、スパイとして行動していたことがあるとされています。

ココ・シャネルは第2次世界大戦中、ドイツの男爵(だんしゃく)であるハンス・ギュンター・フォン・ディンクレイジと愛人関係にありました。

男爵は表向きは外交官、裏の顔はドイツのスパイとして任務を任される重要人物。

そんな男爵との恋仲にあったココ・シャネルは、自らもドイツのスパイとして行動していたといわれているのです。

もちろんこれは母国フランスから大きなバッシングを受ける行為。

ついには逮捕にまで追い込まれてしまいました。

ココ・シャネルは「シャネル」の経営から事実上の引退をし、一部店舗を除き全てのビジネスを閉鎖。

逮捕後、なんと15年にも渡ってスイスで亡命生活を送ります。

ユダヤ人から権利を奪還

男爵と恋仲にあったココ・シャネルですが、この関係性にはある利害関係がありました。

実はココ・シャネル、シャネルの代表商品「No.5」の製造販売権を握っていたユダヤ人「ヴェルテメール一族」から、男爵と協力して製造販売権を奪還するために動いていたのです。

逮捕後も長きに渡る争いの末、「No.5」の権利で揉めていたヴェルテメール一族と和解した彼女は、ヴェルテメール一族の援助を受けパリにブティックを再開します。

もしかしたら彼女は、このNo.5の権利を奪還するため、男爵との関係を続けていたのかもしれませんね。

復活するも、「ダサい」と一蹴

ヴェルテメール一族の援助を受け、ブティックを再開したココ・シャネル。

一年の準備期間を経て、満を持してファッションショーを開催します。

しかしそのショーが大失敗。「物悲しい回顧録(かいころく)」「古臭いファッションショー」と大批判を受けます。

世界的に有名となったブランドが、「ダサい」とされていた時代があったのですね。

もちろん、フランスでは彼女へのバッシングが深く根付いていたことも大きく影響しているのでしょう。

しかし、そんな彼女の復活劇はすごいものでした。

大失敗からの逆転劇

母国フランスでは批判的な声が多かった「シャネル」ですが、アメリカからは「斬新(ざんしん)なファッション」だとして徐々に歓声を浴び始めます。

マリリン・モンローを代表とした著名人が既にシャネル商品を使っていたことや、「シャネル」の強みである「女性らしく実用的なファッション」の最先端として作られたシャネルスーツがアメリカで爆発的人気となり、1955年にシャネルはモード・オスカー賞を受賞します。

その後も固定概念(こていがいねん)に縛られることなく、次々と新たなヒット商品を生み出したココ・シャネル。

女性の自立を掲げたファッションは「シャネル・ルック」と呼ばれるようになり、現代ファッションの基礎を作り上げました。

ココ・シャネルから学ぶ強さ

フランスでの酷評に対しても、彼女は「人が何と言おうと平気」と述べています。

まわりの声に流されることなく自身の美学を貫き続けた彼女だからこそ、女性1代で「シャネル」という誰もが知る高級ブランドを作り上げることが出来たのではないでしょうか。

 

いかがでしたか?

人と違うことを恐れず、何歳からでも再起する彼女の力強さは、今でも多くの女性の憧れです。

皆さんも、何か二の足を踏んでしまうようなことがあったら、「失敗しなくちゃ、成功はしないわよ」という彼女の言葉を思い出して、果敢(かかん)にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

今回の記事が参考になった方は、コメントもしていただけると嬉しいです。

それではありがとうございました。