【太宰治】ネガティブ思考でも上手に生きていく方法 ー太宰治の作品から人生の参考になる言葉ー

今回は「太宰治」について紹介していきます。

太宰治は第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表し、「走れメロス」や「人間失格」といった作品は有名です。典型的な自己破滅型の小説作家であり、何度も自殺未遂を繰り返すなど刹那(せつな)的な生き方に終始した人物です。今回はそんな太宰治の作品から人生の参考なる言葉と太宰治の生涯を紹介していきたいと思います。

太宰治の生涯

太宰治は青森県の名士の6男として生まれました。県下(けんか)有数の大地主である父、津島源右衛門(つしまげんえもん)は県会(けん‐かい)議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員などを務めた地元の名士(めいし)で、津島(つしま)家は「金木(かなぎちょう)の殿様」とも呼ばれていました。幼少期の太宰治は成績も良く、開校以来の秀才と言われていたとされます。

学生時代は芥川龍之介、志賀直哉、などを愛読し、井伏鱒二の『幽閉(ゆうへい)(山椒魚)』には読んで座っていられないほど興奮したと振り返っています。文学少年だった太宰治は17歳頃に「最後の太閤(たいこう)」を書き、また友人と同人誌を発行し小説家を志すようになります。

東京帝国大学フランス文学科に入学し上京を果たすと、井伏鱒二を尊敬していたこともあり、上京後すぐ井伏のもとを訪れ弟子入りします。ここから太宰治の自己破滅的な生き方が始まります。非合法化されていた左翼活動に傾倒し、女性関係でも愛人関係にあった芸者の小山初代(おやま はつよ)を上京させ同棲を始めます。

この同棲には青森の実家が大反対し、長兄が上京し「結婚は認めるが本家からは除籍する」と言い渡されます。除籍になった10日後銀座のカフェの女給(じょ‐きゅう)・田部(たなべ)シメ子と出会い、浅草見物など3日間を共に過ごした後、鎌倉・腰越(こしごえ)の海にてカルモチンで自殺を図ります。シメ子だけ死亡し、太宰は生き残りこのことは「東京八景」「人間失格」など太宰の作品には度々登場する出来事となります。その後太宰治は左翼活動から脱却し、小説家として積極的に筆をとり、「思い出」「魚服記(ぎょふくき)」を執筆します。

大学5年目になっていた太宰は、卒業できず仕送りを打ち切られることを考え、新聞社の入社試験を受けますが不合格となります。このことにショックを受けた太宰治は鎌倉で首吊り自殺を図りますが未遂に終わります。体調面では盲腸炎(もうちょうえん)から腹膜炎(ふくまくえん)を併発(へいはつ)、入院先で鎮痛のため使用した麻酔剤をきっかけに薬物中毒になってしまいます。以降は薬物中毒に侵され(おかされ)ながら、小説を創作するという状態に陥ります。

新設された芥川賞の受賞へ向けて並々ならぬ執念を見せますが、ついには受賞するには至りませんでした。深刻な薬物中毒とさまざまな女性と関係を持つというすさんだ生活を続け、38歳の時に玉川上水で愛人の山崎富栄(やまざき-とみえ)と入水自殺という形で生涯を終えます。

挫折が名言を生む

人生の挫折のたびに自殺未遂を繰り返しながらも刹那的(せつなてき)に生きた太宰治は、現在でも高い人気を誇る小説家です。
ここからは太宰治の小説の中での言葉を紹介していきます。

「自分を憐れむ(あわれ‐む)な。自分を憐れめば、人生は終わりなき悪夢だ」

自分をさげすむような考え方によって行動しても上手く行くことはないということです。惨めな(みじめ)気持ちには人に認められたいという人間が本来もつ「承認されたい」という欲求を否定するものになります。それでは幸せな人生とは言えないと思います。

「日常の生活に直接、役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させる」

役に立つ、役に立たないは勉強しているときはわからないものです。しかし学んでいたことは将来おいて人格を形成するものになることは間違いありません。

「走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。」

これは走れメロスの作品中に登場する言葉です。私たちもなぜだか自分でも良くわからない理由で何かに打ち込むことがあると思います。この瞬間が私たちの本質が表れているのかもしれません。

「人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。」

これは自分を変えることが出来るのは人ではなく、あくまでも自分だけだという事です。太宰の人生には挫折が多いですが、結局自分で再び小説家として奮闘(ふんとう)するという事を繰り返してきました。このことは結局自分を変えることが出来るのは自分だけとわかっていたのかもしれません。

「いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない」

ストレスを抱え込まずに上手く発散できればヤケ酒なんて飲まないという至極(しごく)わかりやすい言葉です。こう考えてみるとヤケ酒すると体調が悪くなるとわかっているのにやってしまうのは、なぜなんでしょうかね。

結論

ここまで太宰治の生涯と名言にフォーカスしてきましたがいかがだったでしょうか。太宰治自身は数々の挫折に見舞われた人物で、生き方としてはとてもひどいものですが何か人を引き付けるカリスマ的なものにあふれる人物です。私たちも挫折したときに太宰の言葉に励まされる場面があるかもしれません。