【学問の神様】菅原道真の悲劇の人生・怨霊となったエピソード

「学問の神様」として多くの神社で祀(まつ)られている菅原道真(すがわらのみちざね)。多くの学生たちからありがたがられる一方、「日本三大怨霊」として恐れられている一面もある人物です。

 

菅原道真の人生や悲運なエピソードからは、ビジネスに必要な「折れぬ心」を学ぶことができます。「仕事がうまくいかない」「上司から認めてもらえない」と悩んでいる方はぜひ参考にしてください!

 

菅原の道真の人生・エピソード

朝廷のトップから怨霊へ。菅原道真の悲劇のエピソードは、現代でも広く語り継がれています。それではまず、彼の生涯を振り返っていきましょう。

 

幼少期から神童と称される

845年、中級貴族の家庭に生まれた菅原道真。代々学問の家系とされる菅原家の中でも「神童(しんどう)」と称されるほどその才能は際立っていました。

 

5歳にしてはじめて和歌を読んだ道真は、とりわけ漢学(中国の古典や詩文)の研究に情熱を注ぎ、18歳にして文章生(今でいう詩文・歴史学の大学生)の試験に合格。道真の祖父や叔父がこの試験に合格したのは、20歳を過ぎてのことですから、菅原家の中でも更に優秀だったことが伺えますね。

 

40人の文章生の中から、トップ2の優等生に選ばれる才能を発揮し、33歳の頃には文章博士(大学教授のようなもの)となりました。父亡き後は、菅原家で経営していた私塾の運営を任されます。

 

政治家としても大活躍

学者として類まれなる才能を発揮した藤原道真ですが、政治の世界でも活躍しました。宇多天皇に高く評価された道真は、政治の世界でも力をつけ、やがて右大臣(うだいじん)に重用されます。右大臣と言えば、当時の政界では太政大臣(だじょうだいじん)、左大臣(さだいじん)に次ぐ3番目のポスト。

 

特に学者出身の者が政治家として活躍するのは非常に珍しいケースだったようです。場所や業界を問わず活躍できる道真の器量の良さが伺えますね。

 

藤原時平の策略で大宰府へ左遷

天才と呼ばれるに相応しい才能をもった菅原道真。しかしそんな彼を殺すのもまた、自分自身の才能でした。当時は藤原氏が政治の実権を独占していた時代。家系外の学者が出世することを妬(ねた)む者も多かったのです。

 

左大臣・藤原時平(ときひら)もその1人でした。政界でも活躍する道真を疎(うと)ましく思った時平は、なんとか道真を失脚させようと一策を講じたのです。

 

道真を可愛がっていた宇多天皇が譲位(じょうい)していたのも、道真にとっては不運でした。時平は宇多天皇に代わって即位した醍醐(だいご)天皇に「道真君、実はあなたの弟を天皇にしようと企んでいるみたいですよ」とデマを流したのです。

 

これを本気にした醍醐天皇は、道真を福岡の大宰府へ左遷。濡れ衣を着せられた道真は、2年後に大宰府で病死してしまいます。

怨霊・菅原道真の伝説

学問の神として祀られている菅原道真ですが、平将門(たいらのまさかど)、崇徳(すとく)天皇と共に「日本三大怨霊」と呼ばれているのはご存じでしょうか?ここからは、道真が怨霊として恐れられるようになったエピソードを解説します。

 

平将門については以下の記事で解説しています。併せてご参照ください!

朝廷に反旗を翻した平将門とは?人物像やエピソードについて解説

道真の死と相次ぐ天災

時平の策略によって、大宰府に追いやられた道真。彼が亡くなった後、京都では疫病やが流行し、洪水や干ばつなどの天災が相次ぎました。

 

また、道真の左遷に関わった藤原氏の人間が次々に謎の死を遂げます。ある者は病気で、ある者は沼に溺れて。落雷に打たれて亡くなる者もいました。策略を企てた張本人の時平も、39歳の若さで急死。「これは道真の祟りに違いない!」と京都はパニックに陥ります。

 

醍醐天皇も大慌てで道真の異動命令文を燃やし、左遷を取り消したそうです。

 

しかし時すでに遅し。会議が行われていた清涼殿(せいりょうでん)に落雷が直撃し、多くの貴族と武士が命を落としました。現場を目撃していた醍醐天皇もあまりのショックからか体を壊し、帰らぬ人となります。

 

道真を祀る天満宮

相次ぐ怪死事件に恐れを抱いた朝廷は、怨霊・菅原道真の怒りを沈めるために京都に北野天満宮、道真が没した地には大宰府天満宮を建てました。

 

当時は天災を引き起こす「雷神」「天神」と畏怖されつつ祀られていた道真。しかし近世以降は彼の「学者としての優秀さ」に着目されることが多く「学問の神」としてよく知られるようになりました。

 

「天神」や「天満宮」と名の付く神社は日本に10,000社以上ありますが、これらは菅原道真をお祀りするための神社だというわけです。

 

菅原道真のエピソードから学ぶ「折れぬ心」

「怨霊」「雷神」などと物騒な恐れられ方をする菅原道真。あまりに不運な境遇、死後のエピソードから、絶望や憎しみにかられたまま非業の死を遂げたのではないか、と想像する方も多いでしょう。

 

しかし亡くなる前の道真は、平和を祈りながら、希望を絶やさず無実を主張し続けたと言われています。再度京の地を踏むことなく亡くなってしまったことは残念ですが、死後、彼の功績や才能は高く評価されました。現代でも多くの信仰を集めていることを思えば「少しは報われたのかな」と胸をなでおろせるものです。

 

競争、嫉妬、理不尽。決して現代ビジネスと無縁な言葉ではありません。仕事をしていれば、耐え難い理不尽に直面することもあります。しかしそんな時こそ、絶望的な状況にあっても希望を捨てず、平和を祈った道真のような「折れぬ心」が必要です。

 

努力が100%結果に結びつくとは限りません。しかし理不尽に屈せず、自分を信じて積み重ねた努力は、時代や環境を超えてでも評価されるものではないでしょうか。