徳川綱吉ってどんな人?徳川綱吉の生涯と生類憐れみの令

260年に及ぶ江戸時代を治めた徳川家は、歴史を語る上でとても重要な家系です。初代の徳川家康を筆頭に、全15代まで歴史に大きな影響を与えてきました。この記事では、「犬将軍」と呼ばれた5代将軍、徳川綱吉を詳しく紹介します。

今回は徳川綱吉のものがたりから、あなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。極端な政策もありましたが、秩序や学問を大切にした綱吉の考えは、仕事でも大いに役立つことでしょう。

徳川綱吉とは

徳川綱吉は、徳川家の5代目将軍です。綱吉は3代目将軍・徳川家光の4男として江戸城で誕生。子供の頃は綱吉という名前ではなく、徳松(とくまつ)という名前でした

徳川綱吉の性格

徳川綱吉は、とても勤勉な性格でした。その理由は、家光が一生懸命に教えた儒学にありました。

儒学は、目上の人を尊重することを常とした学問です。綱吉は4男として生まれたので、成長した時に兄・徳川家綱と争いが起きてしまうかもしれません。そこで家光は「儒学を学べば兄を尊重する心を学び、対立を防げるはずだ」と考え、綱吉に儒学を勉強させたのです。だから綱吉が将軍になった時には、儒学的な考えに基づいた政治を行ったと言われています。

また綱吉は「能狂」と呼ばれるほど能にハマっていました。能が大好きな綱吉は、気に入った能楽師を支援する一方で、気に食わない能楽師に対しては罰を与えたり能の世界から追放したりと横暴な一面も見られました。

能に関して妥協の無かった綱吉は、時代とともに消えていった玄人好みの能も復活させたりしています。現代でも高く評価されている能の中には、綱吉が支援したものも多くあり、芸術面での功績は決して軽視できるものではありません。

徳川綱吉が将軍になった理由

綱吉は家光の4男で側室の息子だったので、元々将軍になることは考えられていませんでした。ではなぜ、綱吉は5代将軍になれたのでしょうか。

それは、兄・徳川家綱が病気で倒れ、子供を授かっておらず後継ぎがいなかったからです。また他の兄弟は亡くなっており、5代目将軍に就けるのは綱吉しかいなかったのです。

徳川綱吉が行った政治

綱吉の政治観の根底には、幼少期時代に父・徳川家光に教わっていた儒学があります。綱吉は目上の人に礼儀正しく接し、徳を大切なものと考える政治を行いました。徳川幕府初期の「武断政治」(武力や権力で支配する政治)を嫌い、「文治政治」(徳や法律、教養で統治する政治)を重んじたのです。

文治政治を行うには、優秀で知恵のある人材を育てなければなりません。そのためにまず教育機関として、湯島聖堂を設立しました。ここで学びを経た人物には、新井白石(あらいはくせき)や荻生徂徠(おぎゅうそらい)など著名な学者や政治家が数多くいます。よく「ダメ将軍」と揶揄されることも多い綱吉ですが、決してその功績は小さくありません。

徳と秩序を重んじ、優秀な人材を数多く排出した綱吉の文治政治は、「天和の治」と称されています。しかしその一方で、「悪政」と綱吉の評価を大きく下げることになる「生類憐れみの令」が始まります。この法令にはいき過ぎた内容の決まり事もあり、民衆の反感を買うようになりました。

生類憐れみの令の実態

生類憐みの令は、生き物を殺さず守ることを目的として出された法令です。しかし動物の殺生を禁ずるだけに留まらず、度重なる発令とともに民衆の生活を厳しく制限するようになったことから、「悪政」と評されることが少なくありません。

  • 犬や猫を鎖につながなくてもいい
  • 魚や鳥などを生きたまま食用として売るのを禁止
  • 犬の虐待や殺生を発見、密告した人には奨励金を与える
  • 鰻屋やドジョウの売買禁止
  • 動物の殺生、虐待を行った者に対する厳罰化(死罪、市中引き回しなど)
  • 鷹狩りの禁止
  • 捨て馬の禁止

蚊を潰すことすら認められなかったという話も残っており、いかに極端な法令だったかが伺えますよね。綱吉は動物の中でもとりわけ犬を可愛がっていたため、「犬将軍」と呼ばれるようになりました。

よく綱吉の政策は「人間よりも動物の命を重視している」と批判されます。たしかに生類憐れみの令には厳しすぎる法令も多く、江戸に混乱をもたらした部分もあるでしょう。

しかし綱吉の政治の根底には「人間を含む全ての命を大切にしてほしい」という思いがあったのです。貧乏な家庭に生まれ、ろくに栄養もとれずに餓死する子供や、病に倒れてまともな医療を受けられず亡くなる人々。今では考えられないほど、当時は簡単に人の命が失われていました。

そんな過酷な時代を知っている綱吉だからこそ、「種を問わず、全ての命を尊重してほしい」と願いを込めて生類憐みの令を出したのです。現に綱吉は、当時社会問題となっていた「捨て子」を禁止する法令も定めています。

エスカレートしてしまったとはいえ、「誰よりも命を大切にした将軍」という一面も決して無視してはいけませんね。

徳川綱吉のは命の大切さを教えた

綱吉は「生類憐れみの令」を酷評されることが多いですが、教育、政治、芸能などあらゆる面で残した功績は決して小さくありません。結果的に混乱を招いた部分もあるとはいえ、「教養と秩序、そして命」を重んじた彼の姿勢からは、現代人も学ぶべき教訓があるのではないでしょうか。