徳川家康の性格|我慢の連続から得た天下統一に学ぶこと

戦国の世を終わらせた天下人、江戸幕府初代将軍「徳川家康」。大河ドラマでも頻繁に登場する人物のため、日本人で知らない人はいないほどの武将です。今回は徳川家康のものがたりからあなたのビジネスのヒントを得ていただきたいと思っています。かの有名な歌『鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥(ホトトギス)』でも表現されるように、我慢強い性格でも知られる家康ですが、ビジネスではどんな点を参考にできるのでしょうか。

さまざまなエピソードと一緒に、徳川家康の性格を見ていきましょう。

徳川家康の性格:我慢強い

徳川家康の人生は幼少の頃から我慢の連続でした。三河(愛知県)に生まれた家康。幼い頃に織田家や今川家の勢力争いに巻き込まれ、母親と生き別れになってしまいます。その後家康は今川義元の人質として駿府(静岡県)での生活を余儀なくされました。

元服してから7年後に織田信長と同盟を結びますが、信長の理不尽な命令に不満を覚えながらも、自らの使命を果たす日々。三河では一向一揆が起こり、静めるのに3年もの月日を要しました。

さらに信長が本能寺の変で亡くなった後、ようやく天下を取るチャンスが巡ってきたものの、豊臣秀吉に遅れをとり、領地を取り上げられてしまうのです。

家康は決して環境や上司に恵まれてはいませんでしたが、我慢強く耐え忍びながらも最後には天下を取りました。幼少の頃から、自身のメンタルをコントロールする力が備わっていたのかもしれません。目標達成まで折れない底力は、我慢強さの賜物なのです。

徳川家康の性格:質素倹約で健康オタク

徳川家康の性格で有名なのは、ケチだという説です。例えば、手柄を上げた家臣たちにも石高(収穫量)の低い領地しか与えなかったという話や、ふんどしの汚れが目立たぬように、自身も家臣にも女中にも薄黄色い肌着を身につけさせた話まであります。

さらに勉強熱心だった家康は、薬まで自身で調合し亡くなる間際まで飲んでいたそう。自身の食生活は一汁一菜とした話も有名です。

石橋を叩いて慎重にことを進める家康の性格上、今だけでなく将来への備えも万端にしたかったのでしょう。ビジネスにおいても、成果を上げるための段取りは非常に大切です。会社のコストを考慮する点でも質素倹約は参考になりますよね。

健康意識の高さ

家康は健康オタクであるという話もあります。先にお話した薬の話や食事の話に加えて、体を動かして汗をかくことも日々のルーティンでした。鷹狩りや乗馬、弓や剣術を欠かさなかったとも言われています。

当時の寿命は相当短かったそうですが、家康は75歳まで生きながらえています。これも、健康意識の高さの賜物なのでしょう。

まずは体が資本であるという点は、現代でも同じです。ジム通いやジョギングなどで健康的な体型を維持したり、食べ物に気を付けたりする意識も備えておきたいですよね。

徳川家康の性格:勉強家である

家康が大敗した戦として有名な「三方ヶ原の戦い」。家康は、武田信玄の戦法を後の「関ヶ原の戦い」に活かしたとも言われています。また、関ヶ原の戦い後にも、鎌倉幕府や室町幕府の体制を真似ながら、大阪冬の陣、夏の陣にのり出しています。

自分の失敗から得たものを糧にして、攻める手数を増やしていったのです。単に運が味方しただけではなく、先人や敵からもさまざまなことを学ぶ姿勢は、ビジネスマンにも必要なのではないでしょうか。

徳川家康の性格:マネジメント能力、観察力に長けている

家康は自身の器量だけでのし上がったのではありません。自分に足りないものを優秀な部下に信じ託すことで、最強の三河武士を輩出しています。

武田家に勝利した後は、有能な家臣達を率いて、ますます領地の拡大を進めていきました。家臣たちの団結力を上げるために、家臣の性格や背景を観察したうえで、どうした方法が最善で、どう動かすべきかをマネジメントしていたのでしょう。

徳川家康の性格:気が短く冷酷な一面も

家康は義理人情に厚い性格であるとも言われていますが、実は気が短く冷酷な一面もあるようです。家康の妻である築山と長男の信康が、武田側に内通していると信長から疑いを掛けられたときには、妻を殺め、息子に切腹を命じています。

また、緻密な計画を練って段取りする家康は、戦場で思い通りにならないとイライラして、自身の爪を出血するまで噛み続けたという話もあるほどです。負けず嫌いな性格の片鱗も見え隠れしていますよね。こうした性格もまた、家康を天下人にのし上げた要因の1つなのかもしれません。

徳川家康の性格:情け深い?女好き

最後に番外編といきましょう。ビジネスの参考にはなりませんが、悪しからず。徳川家康は、数々の将軍の中でも数多くの側室を抱えた1人です。(20名以上という説も)将軍になったのは還暦を過ぎた頃。それまでに13人、還暦を過ぎてから3人の子供を授かっています。

情け深い性格もあってか女中などには未亡人も多く、パートナーを亡くした女性を世話したのだとか。中には認知していない子供もいるとされ、ただの女好きか、はたまた戦略かと専門家の間でも議論されているようです。

幼いころから母親と離ればなれで育った家康にとって、甘えられる存在が多いことは幸せの極みだったのかもしれませんね。

徳川家康の性格まとめ

諸説ある家康の性格をまとめるなら、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざが、妙にしっくりきます。織田信長や豊臣秀吉をはじめとする多くの武将を洞察力をもって分析し、実践に移す。失敗を糧にさらに挑戦する姿は、ビジネスマンにも参考になるポイントがあったのではないでしょうか。

こちらの記事では、徳川家康の名言について解説しています。ビジネスマンの参考になる名言も多いので、ぜひご覧ください!
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