豊臣秀吉の「人たらし」な性格に学ぶビジネスマンの生き方

豊臣秀吉の最大の特徴は、その「人たらし」な性格にあると言われています。数々の武将が散っていった戦国時代に、貧民から天下人にまで成り上がった下克上の男。そんな豊臣秀吉の性格を学ぶ事は、現代のビジネスマンにも大きなヒントを与えてくれます。

この記事では、「豊臣秀吉の性格が分かる逸話」や、「豊臣秀吉の性格に学ぶビジネスマンの生き方」について解説していきます!

豊臣秀吉は「人たらし」な性格だった?

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた理由には、「人たらし」な性格があると言われています。皆さんの職場にもいるかもしれませんね……。特別仕事ができるわけでもないのに、周囲から好かれる人。

現代のビジネスマンに例えるなら、豊臣秀吉はそのタイプの人間でしょう。実際に、秀吉の「人たらし」な性格がうかがえる、数々のエピソードがあります。

豊臣秀吉の性格や人柄が分かる逸話(天下統一前)

豊臣秀吉の性格は、天下統一の前後で大きく変わっています。ますは天下人となる前の性格を見ていきましょう!

ミスター下克上

豊臣秀吉は、愛知の貧乏な家庭で育ちました。秀吉自身も仕事が長続きせず、職を転々と変えるような、奔放(ほんぽう)な子です。そんな秀吉を見かねた母は、秀吉を家から追い出したのです。なんだか、現代でもありそうな話ですよね。

実家を追い出された秀吉は、今川義元の家臣に仕えます。しかしこれも長続きせず、地元へリターン。しばらく放浪生活をしていましたが、親友のツテで織田信長の元で仕えるようになりました。

その後、秀吉は信長の元で大出世を遂げ、信長亡き後は自ら天下統一を果たします。まさに底辺からトップまで上り詰めた下克上の男。人々が秀吉のサクセスストーリーに惹かれるのも無理はありませんね。

寛大で慕われる

秀吉が人から好かれる理由には、その「寛大さ」があります。戦で大敗した部下に対し、「あの戦いで生き延びた事こそ、最大の手柄だ」と声をかけたそうです。

また、何度も謀反(むほん)を起こそうとした伊達政宗を、処刑する事なく許しました。このように、彼の寛大さを表すような逸話が残っています。器の大きさこそ、秀吉を天下人にした資質なのかもしれません。

泥臭い仕事も積極的に

豊臣秀吉は人が嫌がる仕事も積極的に引き受けたと言います。トイレ掃除のような雑用まで引き受けました。さらに、浅井長政との戦いでは、自ら敵軍の足止め役を引き受け、織田信長を生存させました。

危険な仕事も積極的に引き受ける秀吉。信長から可愛がられたのは言うまでもありませんね。

媚び上手で上司に好かれる

豊臣秀吉は媚び上手で、上司から好かれやすい性格をしていました。浅井長政との戦いの後、秀吉は「木下藤吉郎秀吉(きのしたとうきちろうひでよし)」から「羽柴秀吉(はしばひでよし)」に名を変えます。このネーミングは、当時の上司であった丹羽長秀(にわながひで)と柴田勝家(しばたかついえ)から一字ずつをもらい受けたという形。

上司の立場からすればこれほどかわいい部下はいないはずです。秀吉が上司から好かれ、異例の出世を遂げたのも納得。秀吉には、織田信長の草履(ぞうり)を懐(ふところ)で温めていたという有名な逸話もありますね。こちらは創作であることが分かっていますが、信長から「サル」と呼ばれ、特別に可愛がられていたのは本当のようです。

冷静で狡猾(こうかつ)な判断力

「人たらし」な性格と言われる秀吉ですが、冷静で狡猾な判断力もあります。明智光秀の謀反(本能寺の変)で信長を失った後、秀吉は約10日という異常な早さで敵討ち(かたきうち)を達成します。これによって、信長の後継者争いでは強い発言権をもつようにったのです。

力を得た秀吉はその後、他の後継ぎ候補を次々と蹴落としていきました。よく日本史の漫画では「お調子者」なキャラクターで描かれますが、大事なところではちゃっかりしていて抜け目がない、そんな男なのです。

豊臣秀吉の性格や人柄が分かる逸話(天下統一後)

豊臣秀吉の性格は、天下統一後に大きく変わったと言われています。天下人となった秀吉の性格を解説します!

冷徹で残忍

天下統一後の秀吉は、それまでと変わって冷徹で残忍な性格をしていたと言われています。自分の息子を後継ぎにする為、甥の豊臣秀次を追放、切腹を命じました。そして、2度にわたる朝鮮出兵では、民衆を殺害し、耳や鼻を削いだと言われています。

これらの事件には検証が進んでいない部分も多く、様々な見解があります。しかし、天下統一前と比較すれば、横暴な手段をとる事が多かったのは事実のようですね。

疑り深い

天下統一後の秀吉は、疑り深い性格をしていたそうです。秀吉は刀狩令で百姓から武器を取り上げ、一揆をおこす事を禁じました。「大仏をつくる為」という名目ではありましたが、実際のところ、農民の反乱を恐れていたのです。

秀吉と同じようなミスター下克上が現れるのを警戒していたわけです。

派手好きで金遣いが荒い

天下統一後の秀吉は、派手で金遣いの荒い性格をしていたそうです。秀吉は京都に金箔瓦(きんぱくがわら)を用いた聚楽第(じゅらくてい)を建設。周辺の屋敷にも金箔瓦を使い、金ピカでゴージャスな街並みを作ったそうです。今なら「税金の無駄遣いだ!」と炎上しそうですが、当時、豊臣に歯向かえる者はいなかったのでしょう。

また、醍醐寺三宝院(だいごじさんぼういん)の花見では、700本の桜を植えさせ、1300人の女性を招待させました。自分の権力を示す為に、ジャンジャンお金を使ったのです。

豊臣秀吉の「人たらし」な性格は本当?

天下統一前は「人たらし」として知られる秀吉。しかし、その後の性格の変わり具合を考えると、「人たらし」も全て出世の為の計算だったのかもしれません。だとすれば、これほど狡猾な男も珍しいですよね。実際に「人たらし」で織田家の重臣から可愛がられ、異例の出世を遂げたのですから。

豊臣秀吉の「人たらし」な性格に学ぶビジネスマンの生き方

豊臣秀吉の「人たらし」な性格は、現代のビジネスマンがそのまま使えるテクニックです。天然であれ計算であれ、「人に好かれやすい」人は、仕事でも多くの人から支えてもらう事ができます。

同僚への気遣いを欠かさず、気づけば回りに人が集まる、ミスはするけどなんだか憎めない。秀吉を現代のビジネスマンに例えるならそんなところでしょうか。上司や同僚からの信頼なしに出世できないのは戦国の世も現代も同じ。秀吉のような「人たらし」な性格こそ、現代のビジネスマンが見習うべき部分かもしれません。