汝は汝たり、我は我たり|吉田松陰の名言

吉田松陰の名言「汝は汝たり、我は我たり」の意味とは。人の言葉や態度を忖度(そんたく)するあまり本来の自分の持つ高い志を実現出来なくなってはいけない、という意味です。他人の視線を気にしすぎて、自身の本分を発揮・行動できない現代人にこそ必要な言葉ではないでしょうか。

汝は汝たり、我は我たり

原文

原文:「汝(なんじ)は汝たり、我は我たり(安政(あんせい)二年六月二十七日『講孟箚記(こうもうさつき)』より)」

訳:「お前はお前であり、私は私である」

解説

「汝は汝たり、我は我たり」は、「講孟箚記(こうもうさつき)」の中の一説です。「講孟箚記」とは松陰が黒船に密航しようとして失敗し、その後その責任を問われて故郷長州で牢獄に入れられたときにまとめられた書物です。同じく収監されていた囚人たちへ、松陰が「孟子」を講義した内容が記録されたもの、それが「講孟箚記」です。

吉田松陰の名言として残っているものは、その大部分がこの「講孟箚記」を出典としています。

「汝は汝たり、我は我たり」という短い言葉の前後には、囚人たちへの励ましのメッセージが連なっていました。その内容とは、「一度は囚人となってしまったが武士としての「志」を決して忘れてはいけない、人に何を言われても『お前はお前であり、私は私である』のだから、人の言を気にし過ぎず高い志を持った行動を貫きなさい」というものです。

松陰は、「孟子」の講義を通して囚人たちに希望や多くの知恵を与え、もう一度志のある有意義な人生を送ってほしいと望んでいたのでした。

吉田松陰に見る「実行」「専念」「継続」の大切さ

吉田松陰は、その言の中でしばしば「高い志」を持つことの大切さ、儒教書にある「誠」を実現することの大事さを説いています。志や誠を行うために肝心なことは「実行」と「専念」、そして「継続」であると言います。

松陰はまさしく実行と専念、継続の人でした。自分に学びが足りないと思えば脱藩までして東北に遊学したり、外国での学びが必要だと思えば前述した黒船への密航を試みたりする大胆な行動力がありました。

そして幼少期から叔父・玉木文之進に受けた厳格な教育を元とした、その独特とも言える思慮は終始一貫しており、終生ひるむことなく自身の考えの実現に奔走し続けました。

松陰は、残念ながら若干30歳にして処刑されることになりました。しかし、彼が実行・専念・継続してきた高い志、そして誠の精神は松下村塾の門弟たちに引き継がれました。また現代においても松陰の思想は未だに優れた見解として多くの人たちに影響を与え続けています。

動かないでいるよりも、実際に行動してみることが大事

吉田松陰の類まれなる行動力は、現代に生きる私たちにも学ぶところが多いのではないでしょうか。松陰の行動する力は、長州藩藩主の毛利敬親(もうり たかちか)をも驚かせ続けました。

人生において行動することは、新たな自分を発見すること

どんなに素晴らしい理想を頭の中に持っていても、行動する勇気がなければ何事も為せないままに人生は終わってしまいます。松陰のように現状から一歩踏み出して行動し、そして学び考え、また行動することが大切です。

旅行に出かけることを想定してみて下さい。頭で考えているだけではなく実際に旅に出掛けてみると、そこには思いもかけない驚きや発見があるはずです。それはあなたの想像をはるかに超えた体験となります。

また習い事なども旅行と似ています。実際に他人から何かのレクチャーを受けると、思わぬ手段や考えを学ぶことがあります。行動を起こさない前に四の五の言うことは簡単ですが、現実の体験はあなたに予想もしない結果をもたらすかもしれません。

人生において、行動をすることは新たな自分を発見することです。そして行動をしないことは自身の一生涯の時間を無駄にすることに等しいです。たとえば起業することを迷っているだけでは、時間が無為に過ぎていくだけです。

起業を難しく考えすぎていると、二の足を踏んでしまいます。またいざ起業しても、その後の自分の行動が適切に伴わなければ、目の前のチャンスをふいにするかもしれません。

起業のアイデアは行動し続ける思慮から生まれる

日常において何か不自由を感じること、日頃から気になっていることがありませんか。それがあなたの独自の「アイデア」です。そのアイデアを活かして行動することから、あなたの起業人生は始まります。

たとえば起業した後も、次々と手を打って行くことが大切です。迷ったら学べばいいのです。そして考えてまた行動する、それが大切ではないでしょうか。

松陰のように具体的な行動に移さなければ、何事にも望ましい結果はついてきません。

「汝は汝たり、我は我たり」から学ぶこと

「汝は汝たり、我は我たり」は、吉田松陰の皆さんへの励ましのメッセージです。

他人と歩調をまったく合わせないというのは独善になってしまいます。そうではなく、人の目や一時的な評価を気にしすぎてあなたにとっての大事な行動を起こせないのは、勿体ないと言っているのです。

吉田松陰の言葉は、現代を生きる私たちにも響く有益な提言です。