武士道の著者「新渡戸稲造」とは

新渡戸稲造(にとべ いなぞう)は、さまざまな側面を持った才能豊かな人物です。「思想家」「教育者」「農学者」「国際人」。とりわけ「武士道」の著者として有名ですね。武士道は世界的に読まれている名著です。5,000円札の肖像画として使われたこともある新渡戸稲造ですが、お札の肖像に選ばれるだけの優れた人間です。この機会に新渡戸稲造について学んでみませんか。

新渡戸稲造の業績と生涯

新渡戸稲造は実によく学ぶ人でした。後世に残る業績や足跡は、この豊かな学びから発していったものと言っても過言ではないでしょう。

学びの多い幼少期~青年時代

新渡戸稲造は1862年に、現在の岩手県盛岡市で生まれました。 新渡戸は、子供の頃から英語や西洋文化に親しむ環境で育ちました。新渡戸の実家には西洋の家具があり、かかりつけの医師からは英語を学ぶことができました。

やがて学びのために東京に旅立つと、英語学校や盛岡藩士が経営する「共慣義塾」へ入学をしました。そののち、農学を志すようになり、札幌農学校に入学します。新渡戸は後に日本初の農業博士となりました。

新渡戸が農政に興味を持ったきっかけは、明治天皇の存在だったと言われています。1876年、新渡戸が札幌農学校に入る前年に明治天皇が東北を行幸し、新渡戸の祖先が作った青森県の開拓地をご覧になり、その功績を称えられました。それが新渡戸に影響を与えたのでした。新渡戸は農政家として「農業本論」や「農業発達史」なども著作しています。

札幌農学校は 後の北海道大学です。農学校卒業後には東京帝国大学(後の東京大学)やアメリカのジョンズ・ホプキンス大学などで学びを多くしました。帰国時にはアメリカ人女性と結婚もしています。

教育者・国際人「新渡戸稲造」~そして「武士道」の著作

新渡戸稲造は帰国後、札幌農学校の教授や台湾の総督府技師、そして京都帝国大学(後の京都大学)・東京帝国大学の教授などを勤め、華々しく多方面で職歴を飾りました。その間によく知られた「武士道」も著作されています。「武士道」は海外でもベストセラーになり高い評価を得ました。

「武士道」の著者として国際的に有名になった新渡戸は、晩年に国際連盟の事務次長に選任されています。貴族院の議員にも選ばれました。

72歳で亡くなるまで東京女子経済専門学校の初代学長を勤めるなど、女子教育にも尽力しています。さらには最期まで日米関係の関係改善にも献身的に働いた人物でもありました。

新渡戸稲造の記した「武士道」とは

新渡戸稲造といえば「武士道」ですね。なんとアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も愛読していたとか。武士道は決して古くさい考え方ではなく、現代の日本にも活かしたい思想なのです。

武士道は最初英語で書かれていた!

新渡戸はあるとき外国でラブレーという学者に尋ねられました。日本に宗教教育がないのなら、日本人はどのように道徳教育をするのかと。妻のメアリーからも同じ質問を繰り返しされたことで、新渡戸は改めて日本人の倫理観について考えました。

すると、結果として新渡戸は行き着いたのです。日本人の持つ崇高とも言える精神論はすなわち「武士道」であることに。そこで新渡戸はそれが外国人にも伝わるように、「武士道」とは何であるかを英文で書き上げたのでした。

武士道とは

ご存知のように、武士の時代は源頼朝が鎌倉幕府(1185年~)を開いたときから始まったといって良いでしょう。武士とは戦うことが専門ですが強い武力を持つ人たちが勝手なことをしてしまっては、世は乱れるばかりです。そこで武士道という、武士の生活全般を律する道徳のような崇高な考え方が生まれたのです。

武士道とは、仏教・神道・儒教の思想をその考え方の礎としています。仏教からは穏やかに運命を受け入れ、従う心を。神道からは忠誠心や愛国心の影響を受けました。そして武士道に一番大きな思想を与えたのが、儒教なのです。儒教とは、古代中国の孔子による教えです。

武士道に関する詳細な解説は割愛しますが、現代の日本人の生活の中にも武士道は生きていると思います。たとえば「忠義」という考え方があります。自分を助けてくれた恩人に、忠義を尽くす…こういう人は今の日本にもいるのではないでしょうか。

また「誠」という精神を体現する人もいます。一度言ったことは守る。ウソをつかない。行動にごまかしがない人。こんな方も今の日本にも存在しますね。またそれ以上にそのような人を好ましく感じる人は、たくさんいるのではないでしょうか。つまり、武士道とは、現代の日本にも生きる崇高な精神といえるのです。

新渡戸稲造はなぜ5,000円紙幣の肖像画に選ばれたか

新渡戸稲造は、1984年発行の5,000円札紙幣の肖像画に選ばれました。その理由は2つあると言われています。

新渡戸稲造のキレイな写真が残っていた!

1つは新渡戸稲造のクリアな写真が残っていたこと。紙幣にするためには、その人物のなるべく精緻な写真や絵画が存在していることが必須条件です。お札の偽造防止の観点からも重要なことなのです。

新渡戸稲造の国際人としての評価

2つ目は新渡戸稲造の国際人としての側面が評価されたことです。紙幣のデザイン画になる人物は教科書に載せられているなど、一般的にも有名な人が選ばれます。

新渡戸はそれだけでなく、前述したとおり、国際人としても活躍し、広く知られた文化人といえるでしょう。さらには「武士道」も世界各国で親しまれている著作です。

また、「円」をよりグローバルな流通貨幣「YEN」として国際的な認知度を高めるためにも、世界的な視点を持っていた新渡戸稲造を起用したといえるでしょう。

新渡戸稲造の思想は今も生き続けている

新渡戸稲造は、優れた農政家であり教育者でした。そして国際人でもあります。

しかも、新渡戸の著書である武士道は、日本人の崇高な精神を世界に発信した名著です。

5,000円札の肖像に選ばれた理由が納得していただけたのではないでしょうか。

さらに新渡戸稲造に興味をお持ちになられた方は、武士道を一読されることをおすすめします。